ヘルシー企業の顔:虎屋・17代目 黒川光博社長
食べておいしく、目においしく、心においしい和菓子の虎屋。安土桃山・江戸・明治・大正・昭和・平成と、5世紀を経てトップブランドであり続けるスーパー長寿企業だ。「伝統は革新の連続」と語る17代目・黒川光博社長に、同社の歩みと未来構想について聞いた。
◆季節の和菓子教室を病院で
二年前から、東京・青梅にある高齢者医療の慶友病院で、ボランティアの和菓子教室を開催させていただいています。5月の会では、ちまきや菖蒲の花の焼き印をした饅頭などを作り、試食していただきました。病院の窓から見える風景に、季節の和菓子が風情を添え、患者さんや家族の方々にご好評いただいています。またそこにはたくさんの笑顔と会話が生まれ、和菓子を通じ交流の場が広がることに、私どもも心から感動しています。
和菓子は、日本人の心を癒す食べ物なんです。お彼岸のおはぎ・お月見の団子・七五三の饅頭など、人生の行事や儀礼に深く結びついた日本文化の結晶です。
◆16世紀から禁裏御用菓子屋
虎屋の創業は、京都で後陽成天皇の御用を勤めた禁裏御用菓子屋の一つであったという記録から推測して、一六世紀前半と考えられています。いまも当時納めた菓子の名や値段・絵図などを記した一〇〇〇点余の古文書や、菓子の木型といった器物類三〇〇〇点以上を所有しています。そうした和菓子の文化的価値を伝えるべく、虎屋文庫という部署を設け研究や情報発信を行っています。
◆23年前にパリ、NYへ
和菓子文化をさらに広めるため、二三年前にパリ、そしてニューヨークへ出店しました。SUSHIという言葉の如く、WAGASHIも世界で通用する言葉にしたいという夢をもって。
文化の違いにまつわるエピソードはたくさんあります。ようかんを初めて見たフランス人に「これは黒い石鹸ですか?」と質問されたり。二〇年前、パリの女性社員に「二年間の出産休暇をください」と言われ、大変驚き悩んだことも。結果的には、当時画期的な出産休暇制度を導入したのですが、女性が働く環境づくりを考えるきっかけとなった出来事でした。日本文化を伝えるつもりが、逆に教わることばかりで大変勉強になっています。
◆チョコレートも使う新たな挑戦
和食・洋食、和服・洋服など、とかく和と洋は区別されますが、和菓子という言葉が生まれたのは、ほんの一〇〇年前、明治維新以降です。古来、日本の菓子は唐の揚げ菓子、南蛮のカステラなど外国の技術を積極的に取り入れて発展してきました。
そこで和と洋の垣根をとり払う新たな挑戦として、今年4月、六本木ヒルズに『TORAYA CAF´E』をオープンし、小豆など和素材に、チョコレートやスパイスなどを加え、洋式の製法で作る“WAGASHI”作りを始めました。
さらに現在構想中なのが「和菓子オートクチュール」。つまり、お客様との対話でその方だけのための和菓子を作るのです。それこそ和菓子屋の原点ではないかと思うのです。
◆「いま」を生きる人がおいしいと感じる
伝統はただ守っているだけではどんどん廃れます。変えないことが伝統と思われがちですが、実際は、絶えず変わることによって、継続のエネルギーが生まれるのです。
「虎屋の味とは」。これは永遠のテーマです。原料の選定・管理の徹底はもちろんのこと、さらにおいしさを極めるため、先月末、御殿場に和菓子研究所を新設しました。
ここでは三つの分野ごとに研究を進めています。一つ目は素材を極める「基礎研究」。小豆中のアントシアニンや食物繊維・ミネラルなど機能性成分の研究により、和菓子の新価値を発見・発信します。
二つ目は「品質研究」。ここでは、口溶け・固さ・風味・色彩など、ヒトの微妙な感覚・味覚を科学的に分析したり、環境に優しい包材をさぐるなど、おいしさと食の安全を極める研究です。
三つ目は新しい和菓子を極める開発研究。老舗の伝統の味でも、「いま」を生きる人がおいしいと感じるとは限りません。いま我々の目指す和菓子は、甘味がやや強く、少し固めで、後味がさっぱりするもの。お客様のご意見を参考にしながら、日々自問自答を繰り返していきます。
これからも、当社の経営理念である「おいしい和菓子を喜んで召し上がっていただく」ことに全力を尽くしていきます。
◆プロフィル
くろかわ・みつひろ 1966年学習院大学法学部卒。同年富士銀行入社。69年「虎屋」入社。91年(株)虎屋代表取締役社長に就任。東京商工会議所常議員・教育問題委員会委員長、日本専門店協会会長としても活躍中。趣味はテニス。