ヘルシートーク:ウォーキングドクター・デューク更家さん
コミカルなポーズと関西弁で、日本人の歩き方を美しくして15年のデューク更家さんが、なにやら新しい展開「ウォーキングパラダイス」を始動させた。「日本全国を歩きで元気に」というこの計画、どんなお話か聞いてみよう。
●大好きな母への思いから
僕にはいくつもの夢があります。その大きな1つが「ウォーキングパラダイス」です。樹木や芝生がある快適な場所に、ゴルフコースのようにウォーキングコースをつくって、訪れた皆さんに健康になるための歩き方を教えていきたい。一ヵ所に腰を据えないで、サーカスみたいにトラックに機材を積んで、北海道から九州まで年間をかけてグルッと回って。「気候のいい時だけ歩きましょう。そんなに毎日歩かんでもいいですよ」という主義で、春と秋を中心に。街に買い物に来た人が「ウォーキングパラダイス」でTシャツとスニーカーを借りて20分くらい快適に歩き、ひきかけの風邪やちょっとした疲れを取って、元気になって帰っていく。そんな“歩きの楽園”です。
構想の根っこには、働きづめで僕ら子ども4人を育ててくれた母への思いがあります。「いつかお母ちゃんをラクにさせてやろ」が僕の目標だったのに、世の中うまくいきません。20代で事業に失敗、その一番大変な時が過ぎて、「よっしゃ、いよいよお母ちゃん孝行するで」と思っていた矢先、母が肝硬変と診断されたんです。医者から「健康のため、もっと歩きなさい」と言われ、真面目なもんやからね、一生懸命歩いた。僕も「頑張りや。ようなってな」とスニーカーを送ったりして。それが嬉しくて、毎日、海沿いの砂浜を歩いたそうです。結果、母は膝を痛めました。
それでも医者は「まだまだ」と歩きを勧める。痛めた膝で歩き続けた母は階段で転び、車イスの生活に。それをキッカケにみるみる衰弱して、わずか半年後に他界してしまいました。まだ69歳。お母ちゃんは歩いて死んだんです。「もう歩かんでええよ。家でゆっくりしとき」、そう僕が言っていたら、お母ちゃんはもっと長生きできたのかもしれない。
それからです。プロのモデル相手に服を見せるための歩き方を教えていた僕が、健康につながる歩き方の研究を始めたのは。運動生理学はもちろん、気功、武道、ヨガ、バレエ、呼吸法、整体、ピラティス、あらゆる健康法の長所を取り入れてデュークズウォークを構築してきました。
●動けば伸びるで、毛細血管
1万歩とか20分以上続けて歩けとかよく聞くけれど、そんなことしたらいけませんよ。1日くらいならやるでしょうが、疲れてしまって翌日は6000歩がやっと。その次の日は3000歩、結局もうきょうはやめとこ…ですよ。元気になるはずが苦行になってはしょうがない。僕は1日8分を3回くらいに分けて歩くことを勧めています。これなら買い物なんかのきょうやることに、組み込めるでしょう。シニアの方なら5分を4回で十分。
実際、僕はそんなに歩いていないんですよ。移動は飛行機と新幹線ばかりだしね。モナコの家と日本を往復して1ヵ月45日くらいの勢いで働いて、おいしいものをたくさん食べるのが大好き。普通に言ったらもう身体に悪いことばっかり。だけど大学の先生に血管年齢を調べてもらったら20~25歳、内臓年齢は27~28歳。ホントの年齢は54歳を行ったり来たりですよ(笑)。先生いわく、人間の毛細血管は1本につなぎ合わせると地球を2周半するほどの長さだそうで、僕はそれが人の2倍あるという。
おかしいでしょ。僕、そんなにたくさん歩かないって言いました。実はね、歩くために必要なエクササイズがあって、それがすごくいい。このエクササイズはまず、きちんと立つ、正しい姿勢をつくってから始めます。毛細血管の量はDNAによってある程度決まっていて増えないけれど、その代わり伸びる。僕のエクササイズは、背中の脊柱起立筋という大きな筋肉をよく動かす。それを15年も動かし続けてきたから、毛細血管がぐんぐん伸びたわけです。
毛細血管の多い人はスランプが少ないんですよ。血流がいいから、身体のすみずみまで酸素がたっぷり回って、筋肉がいつも喜んでる。僕は「心は筋肉にある」と思っています。筋肉が喜んでいれば心も元気。いつも最高に楽しいです。
○プロフィル
でゅーく・さらいえ 1954年、和歌山県生まれ。ファッションショーの演出およびプロデュース、モデルへのウォーキング指導をてがけた後、1993年から一般向けのウォーキングレッスンを始める。2005年にアメリカ合衆国保健省福祉サービス機構よりプレジデンシャル・チャンピオン・アワード、ゴールド・アワードを授与される。 http://www.dukeswalk.net/