百歳さんこんにちは:茨城県・塙不二さん(103歳)

2015.02.01 235号 06面
食事は介助なしで食べる

食事は介助なしで食べる

 茨城県小美玉市の特別養護老人ホーム「ほのか」で暮らす塙不二さん。103歳のいまも普通食を好み、食事も歩行も人の手を借りず、98歳まで自動車を運転していたという“スーパーおじいちゃん”だ。健康の秘訣は「よく歩くこと。身体を動かすこと」と話す。

 ●戦後、兄の会社に就職

 裕福な家の四男に生まれた不二さんは、1歳にも満たない頃、父親を亡くし、母親と祖母に育てられた。後に実家が財産を没収され、状況は一変した。

 新治尋常小学校(明治22年創立)を卒業後、東京へ行き、洋服屋に勤めた。21歳の頃、兵役を迎え徴兵検査で甲種合格となり、下士官として、いわゆる職業軍人となった。先の戦争では海外に遠征、少尉の時にフィリピンで米軍の捕虜となり、そこで終戦を知った。

 敗残兵として日本へ帰還したが、辛いことも多かった。「仕事を探しに歩いたが、どこも雇ってくれなかった。どこへ行っても職業軍人は嫌われた」。そんな時、タネの生産会社を創業した義兄から「とにかく宇都宮へ来るように」と連絡があり、東北種苗株式会社を紹介され同社に入社した。

 ●自転車で行商にいそしむ

 商売などまったく知らなかったが、八百屋や花屋、タバコ屋、雑貨屋など、タネを売ってくれそうなお店を探し、「置きダネ」と言われる行商にいそしんだ。

 置きダネとは、タネを各店に置いてもらい、売れた分だけ精算する方法。東北種苗株式会社は社員の頑張りで発展し、大きくなっていった。不二さんは独立をすすめられタネの販売店を開業、後にハナワ種苗株式会社を筑西市に設立した。起業家としてスタートし、タネの販売のため各地を回った。

 扱っていたのは、トマト、きゅうりなど一般的な野菜のタネ。自転車に積んで売り歩いた。当時、自転車は高級品。川を渡るにもタネと自転車をぬらさないよう担いで渡ったという。

 その一方で、経営者として帳簿付けもやらなければならなかった。学校で勉強したわけではないため、帳簿付けも税務署に何回も足を運び、独学でマスターした努力家だ。やがて不二さんは会社の発展と共に自転車から自動車に乗り換え、さらなる事業の拡大に奔走した。自動車は98歳まで運転していたそうだ。

 不二さんが創業したハナワ種苗は長男に引き継がれ、いまの社長は三代目。4つの会社に分社化され、それぞれが成功している。

 ●日本酒好きの酒豪

 ズバリ健康の秘訣を聞くと、「体力を付けること。そのためには積極的に身体を動かし、とくに歩くことが大切」と力説する。歩くのが好きで、各地への札所めぐりでは、判を押されたお札などを数多く集めた。食べ物は好き嫌いなく何でも食べるが、辛い味だけは嫌い。施設に入ってからも食事は人の手を借りず自らで済ます。ごはんはお粥ではなく普通食で、取材に訪れた日は昼食のコロッケをはしで切り分け、おいしそうにほおばっていた。

 「家にいた頃の朝食はチーズ、ココア、パンなど洋食。夕食は家族と一緒に肉、魚、野菜料理など何でも食べました。また、日本酒好きの酒豪で、軍隊時代は一升ビンをラッパ飲みしていたと聞いています。施設に入る前までは2~3合、晩酌をしていました」と、同居していた孫娘の久美子さんは振り返る。

 几帳面で行動力のある人だけに、「ほのか」に入所してからも周りの雑草が気になり、自ら草取りを申し出たほど。これは望みがかなわず、「がっかりしたよ」と、笑いながら話してくれた。

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