百歳さんこんにちは:東京都・内藤ハルさん(100歳)

2012.06.10 203号 06面
あと10年は生きますよ!

あと10年は生きますよ!

息子さん夫婦の差し入れが楽しみ

息子さん夫婦の差し入れが楽しみ

 東京の下町・江東区森下町生まれの内藤ハルさん(100歳)は、“モダンガール”として時代の最先端を謳歌してきた。「遊ぶことが大好きで、隅田川を泳いで往復したことも」というおてんばぶり。「あと10年は生きたい」と前向きだ。

 ◆シャンソン歌手ともお友だち

 1912(大正元)年3月12日生まれ。父親は鍛冶屋の職人で、ハルさんは5人きょうだいの長女だ。「父に可愛がられ、お小遣いをもらって遊んでばかりいました。遊び仲間はもちろん女の子ばかり。好奇心旺盛で、何でもしました」と少女時代を振り返る。独身時代には神楽坂に下宿し、当時大人気のシャンソン歌手、石井好子さんとも友だちだったという。「若い時はもてました。ダンスも得意でしたよ」。まさに、大正から昭和初期に流行った“モガ”の草分けだった。11歳の時、関東大震災で被災し、父の実家である新宿に疎開。炊き出しを受けたという。

 2・26事件(1936年2月26日)も忘れられない事件だ。「23歳の時でした。日本生命の電話交換手として働いていた時に事件が勃発しました。仕事がら、事件についてのさまざまなマル秘情報が入ってきましたが、職場に缶詰め状態でした。反乱兵が電話交換室に入り込もうとしたので『何しにきたの。帰れ!』とやりあい、中に入れさせませんでした」。ハルさんにとって忘れられない“武勇伝”だ。

 ◆怖いものは何もなし!主人以外は(笑)

 勉強が大好きだったハルさんは、電話交換手の仕事をしながら英語を覚えた。「自己流で英語をしゃべってました」。“モガ”の真骨頂を発揮していたようだ。好奇心が旺盛で、芸事にも長けていて「山岡鉄舟のお嬢さんと、お琴でご一緒しました」という間柄だった。

 結婚したのは2・26事件の翌年。お相手は、東京大学工学部出身で、徳川家16代当主・家いえ達さと氏の書生だった正明さん。のちに大蔵省に入省したエリートだ。「怖いものは何もありませんでした。主人以外は(笑)」と懐かしむ。ご主人は89歳で他界した。

 3人の子どもを授かった。長男の岳彦さん(69歳)は、「母は前向きな人生を送ってきました。運もいい人です」と笑顔で語る。

 ◆「良いこと」をその日のうちにノートに

 長寿の秘訣を尋ねると「くだらないことは考えず、良いことを覚えて、その日にノートにメモすることです」とよどみなく答え、「まだ10年は生きたいです」と瞳を輝かせる。

 健康維持のため、食事もおろそかにしない。毎食メモを取り、自分で食事をコントロールしている。好物は「うなぎ、駒形のどじょう、大トロのマグロ、卵焼き」。健啖家だ。特別養護老人ホームの食事に飽きると、岳彦さんと妻の都美江さんが、手作りの卵焼きやパン、巻き寿司、たこ焼きを差し入れする。

 「冷たい水で顔を洗うのが日課です」とハルさん。一番の健康法かもしれない。

   *

 あなたの周囲の元気な99歳(白寿)以上の方をぜひご紹介ください。

 百菜元気新聞編集部 電話03・6679・0212

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら