国産化に針路をとれ:敷島製パン 国産小麦で食料自給率向上 「和小麦」シリーズ展開

本社屋上で栽培した「ゆめちから」を手にする盛田淳夫社長

本社屋上で栽培した「ゆめちから」を手にする盛田淳夫社長

黒須力部長(左)と寺本由季氏(和小麦のイベントで)

黒須力部長(左)と寺本由季氏(和小麦のイベントで)

 「令和の米騒動」からさかのぼること約100年前の1920年6月8日。第1次世界大戦終戦直後で、日本が「米騒動」で揺れる中、盛田善平氏は「食糧難の解決が開業の第一の意義。事業は社会に貢献するところがあればこそ発展する」という理念を掲げ敷島製パンを創業した。100年以上が経過し、日本は食糧難から飽食へと変化したが、食糧の多くを輸入に頼るなど食を支える基盤は脆弱(ぜいじゃく)だ。盛田淳夫社長は「創業時の米騒動のように、いずれ小麦がわれわれの手に届かなくなる」可能性を指摘し「輸入に

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