トップインタビュー 富士食品工業・高橋直二代表取締役 モヤシは人類を救う
‐‐全日本豆萌工業組合連合会が発足し今年で三〇年とのことですが、設立の経緯について簡単に紹介をお願いします。
高橋 配給物資の受け皿としての組合作りが進められていたが、昭和14年に全国豆萌協同組合連合会が創立された。その後、昭和28年ごろから原料不足などの経験から業者相互の連携がもたれるようになった。
昭和41年、全日本豆萌工業組合連合会に改称し、現在、四四四企業の組合員で構成されている。
‐‐現在の組合と業界との関わりかたは。
高橋 モヤシ業界は、昭和40年ごろから、それまで樽で作っていたものから機械化に変わり、過当競争になると同時に企業格差が出てきた。
特に首都圏では土地の高騰、地下水の供給、モヤシのカス処理など廃棄物処理問題などが発生し、企業存続も難しくなってきた。そのため、メーカーから問屋として販売に専従するところも出てきている。
‐‐自然淘汰の方向なのか。
高橋 分業化の方向にいっている。
いまわれわれにとり大きな問題は、原料の安定供給。原料となるグリーンマッペ(緑豆)は、九五%が中国からの輸入である。
中国は一三億の人口。ひとたび不作となった場合、ひとつかみの穀物を食べただけでパニックになる。わずか五万tのモヤシの原料なぞ、いつストップされても不思議はない。事実、昨年は大豆の輸出ストップを食らっている。
こうした原料の安定供給のためには行政に頼らざるを得ず、組合というバックボーンが必要になってくる。
‐‐御社がアメリカ・カリフォルニアに工場進出したのは、原料豆の問題を見越してのことか。
高橋 海外進出は偶然のことだ。たまたま向こうの豆腐屋が来て、アメリカではモヤシの需要が伸びている、一緒にやらないかということで進出した。
‐‐アメリカ工場の豆はどこから輸入するのか。
高橋 中国です。アメリカの豆はコンバインで収穫されるため傷がつきモヤシとして使えない。原料豆に関しては、現在主流となっている中国、タイ、ミャンマーのほか、これからはベトナム、南米など生産地を新規開拓する必要がある。ただ南米は豆の輸送に期間がかかり発芽力が低下する。冷蔵コンテナもあるがコスト面に問題がある。
‐‐豆のほとんどがグリーンマッペだが、ブラックマッペとの違いは何か。
高橋 ブラックは豆の滓が残り汚いイメージ、また根が長く伸びる。それに引き換えグリーンは、根も短く姿も見栄えは良いが、種から収穫までに水分を含み八~九倍になる。そのため、六~七倍のブラックに比べ水分が多くなりまずいという声も聞かれる。これは、短時間で調理すれば独特の甘み、コシが味わえる。
また、ラーメン屋さんは樽の中に水を張って保存するが、それではせっかくのうま味が逃げる。
これからはモヤシの需要を伸ばすためにも、レストラン、ラーメン店などのユーザーさんにおいしく食べる方法のPRをしていきたい。
‐‐アメリカでのモヤシの需要が伸びているそうだが。
高橋 一〇年前、アメリカに進出した時、スーパーの売場のほとんどは肉関係で占められ、野菜は片隅にあった。
三~四年前からこれが逆転してきた。野菜を食べなくては健康を維持できないという認識が強まったのでしょう。
特にモヤシは無農薬野菜としての評価が高く、機内食、ホテル・レストランなどのサラダメニューにモヤシがたっぷり使われている。アメリカに行くたびにこうした場面に遭遇し、ますます自信が湧いてきます。
‐‐日本では、値段の安さが先行しているようだが。
高橋 そうです。野菜としての素晴らしさがまだ理解されていない。
牛肉一キログラムに五~六キログラムの穀物が必要だが、モヤシは一キログラムの豆が逆に七~八倍になる。
その上、廃棄物として三割が滓になるが、これは乳牛の飼料として酪農家に引き取られる。
また、成長過程中、エネルギーを冷却するために水を使うが、この水を池に流し魚の養殖をしている。一〇〇%無駄のないのがモヤシ。人類の食糧危機がいわれる中、これほど貴重な存在はないと確信する。
‐‐いま水耕野菜が注目されているが、モヤシも同じ製法ですか。
高橋 モヤシは薬品を使わず、豆の中の栄養分と水だけで成長する。豆の時はビタミンC、アスパラギンサンは含有しないが、芽が出ることで二〇〇倍にも増加する特徴がある。
水耕栽培は、小さな種をあれだけ成長させるため大量の肥料を与えている。生命力の点から言えば、水耕栽培は生命力が弱い。人間は生命力あるものを食べて初めて健康といえる。
‐‐これほどに素晴らしいモヤシを、組合ではどう普及させようとしているのか。
高橋 二〇年前は、ソバ三万t、モヤシ三万tの原料輸入量だった。今はソバ一〇万t、モヤシ五万tだ。
ソバが伸びたのは、健康志向の中でのPR効果があったと思う。モヤシ業界もシェア争いではなく、良い意味の競争意識による品質改善に励み、モヤシの素晴らしさをアピールしていけば、まだまだ伸びると確信する。
‐‐どうイメージを変えるか楽しみですね。ありがとうございました。
昭和14年、新潟県刈羽郡生まれ。昭和40年「高橋萌店」を創業。以後、モヤシをメーンにカイワレ大根、カット野菜などを手掛け、現在、年商四五億円の富士食品工業(株)となる。
昭和56年のアメリカ工場建設を機に、安いだけのモヤシからヘルシー野菜への脱皮を図るべく、まずは組合員の意識改革の必要性を説く。同時にモヤシのイメージアップを図った新製品を次々打ち出している。(文責・上田)














