シェフと60分:ギリシャレストラン「ミコノス」富沢誠一氏
「私のギリシャ料理は、ギリシャ人コックから習ったものをストレートに出している」と自負する。ギリシャ料理を一人でも多くの人に知って欲しい気持ちが根底にあるからだ。
オープン当初、日本人客は皆無。客のほとんどは、イギリス人を中心とした欧米人。彼らの国ではギリシャ料理は、日本でいう中華街的存在で生活に密着しているため、特別な料理というよりごく身近な料理として親しまれているからだ。
細々と外国人相手に営業するなか、「ラッキーなことにアテネ国際マラソンやエスニック料理が脚光を浴び、ギリシャへの関心も深まり」また、常連の外国人が日本人を連れて来るようになり、徐々に日本人客の姿も見受けられるようになった。
理想に燃えて開店はしたものの、そうそうお客が来るわけはない。苦しいとき、ふっと日本人受けするスパゲティやハンバーグをメニューにしのばせようという気が起きないわけではなかった。
「例えおいしいハンバーグであっても、ギリシャ料理と一緒では意味がない、ギリシャ料理を目指して来る客を裏切ってはいけない」と頑なに本国の味を踏襲、また、普及・啓蒙の意志は曲げられないと終始「ミコノス」の看板を押し通す。
「人と同じことはやりたくない」と強い心は人一倍。一途に通したギリシャの味が、やっと最近受け入れられ始めている。
自らの人生をかけるほどに惚れ込んだ「ムサカ」とは、いったい何だろう。
一見グラタン風な「ムサカ」は、ジャガ芋を揚げたものを敷き、上にギリシャ風ミートソースとナスの唐揚げをのせ、ベシャメルソース、卵の黄身、チーズと順次重ねていき、オーブンで焼いたものだ。
「日本でいえば、カツ丼とか天ぷらのようなもの」
どこの家庭でも気軽に作られている料理だが、「技術が違います。レストランでも、店によって大きな差が出るほど」摩訶不思議な魅力をもっているという。
「特にベシャメルソースの滑らかさは芸術の世界です」と目を輝かす。
かつてムサカに惹かれ、日本でも数少ないギリシャ料理店「スパルタ」に修業に入るが、最初の三年間は、船乗り上がりだった年輩のコックから習い、後の五年間は、後任の若いが正式のコックから習ったため、新旧二つの流れのギリシャ料理を習うことができた。
「長い歴史のあるギリシャ料理も、ここ一〇年で大きく変わりました。世界的な傾向でしょうか、油分も少なく、味も淡泊になってきた」
肉体労働が主だったころは味も濃かったが、機械化により頭脳労働に変わるとともに塩気も薄くなってきた。もともと太っているのが格好良いともてはやされていたものが、今では、スリムなほうが格好良いとされている。
こうした本国の変化を素早くキャッチし、お客にぶつけていくため、ギリシャ人客からの、また、自ら訪ねていきギリシャ語力を駆使しての情報集め、味の確認を怠らない。
ギリシャへの旅行客も増え、かなりの情報を得ている。「珍しいだけでは通用しないだけに、本物へのこだわりを押し通したい」
「競争相手がいないせいか、一時天狗になったこともある」と、血の気の多い激しい性格にはおよびもつかない反省の一言をポツリ。
お客が取り皿を何枚も要求してきたとき、「うちは高級料理店ではない、二枚に限定している」と怒鳴ったり、ジャックダニエルを要求され、「ギリシャワインしか出せない」と強い態度で応対したり、領収書に日付を入れないでくれという要望に、「日付のない領収書は書けません」と断ったり、数え上げたらきりがない。
子供のころから、人一倍責任感が強いと評価されていた性格が、裏目に出てのことかもしれない。
「なぜか、こうした争いをおこしたお客が常連客になっています」
人の縁とは不思議なものだ。
「ヨーロッパの中でも落ちこぼれの国、それがギリシャ。なぜか好きなんです」
イタリア、スペインに比べ岩盤が多く痩せた土地のため、産物はワイン、オリーブオイル、タバコなど。かつては男に生まれたら船乗りになるのが生きる道といわれたが、現在でもその精神は受け継がれ海運国として立派に君臨している。
金儲けの下手な国、人を踏み倒してでものし上がる気力のない国、経済大国にはとても及ばない落ちこぼれの国ではあるが、「温厚でお人好しな国民性、これに惹かれいつまでも縁を切れないのかもしれません」
「ムサカ」という素朴な食べ物から始まったギリシャとの関係は、今後もますます縁が深まりそうだ。
文・カメラ 上田喜子
一九五八年、東京・葛飾生まれ。子供のころから現金が入る商売に憧れる。将来の進路を決める段で、一度は電気関係の技術者を目指すが挫折。結局、憧れのヨーロッパに近付きたく料理の世界に入る。
ヨーロッパへの永住を胸に秘めていた時、上司からローマ行きの話が舞い込み、飛びつき渡航。ところが百聞は一見に如かず、思い描いていたものと現実とのギャップから次第にエスニック料理に傾倒するなか、ギリシャ料理の「ムサカ」に出合う。
その風味にいたく感動して以後、ギリシャ料理にのめり込み、「スパルタ」で八年間の修業後、三四歳にして長年の夢であった独立店舗を構え、晴れて一国一城の主となる。
日本では珍しいギリシャ料理、当初なかなか受け入れられなかったが、創意・工夫した豊富なメニューと燃え続ける情熱から、着実にフアン層を固めている。