トップインタビュー・話題の人の外食談義 「東秀」安沢英雄代表取締役社長

1995.04.03 73号 3面

‐‐独立して飲食店(大衆中華料理店)の経営を始められたのが昭和41年とお伺いしていますが、この飲食業を始められたキッカケからお聞かせ下さい。

安沢 新潟から上京、学生時代(昭和30年代後半)にわれわれが食事をするところといったら「一膳めし屋」とか「ラーメン屋」などいわゆる大衆食堂しかなかった。

そこではラーメンライスとか野菜炒めライスばっかり食べていました(笑い)。ですからフランス料理とかいった今では一般化されてきた外食メニューとはまったく無縁な生活でしたね。

また、学生時代(明治大学)、当時は六〇年安保闘争の真っただ中で私自身も集会に行くなど参画していました。ですから漠然とした意識として人間は生まれて皆平等でなければいけないといった感覚なり思いがありました。

ところが、街のラーメン屋で食事をしていると現実には親父(経営者)とそこで働いている店員と比較すると賃金、労働条件すべての面であまりにもその格差が大きいという面にも気付いたわけです。ですから安くておいしい、そしてそこで働く人間がプライドを持てる中華飲食店を経営してみたい。理想をいえば人間同士が一つの連帯感で結びついた一種の共同社会。これを実現するには自分で事業を起こし会社を作ることしかないだろうと考えたわけです。

余談ですが私自身勉強も嫌い、出来ない、サラリーマンになれなかったのも事実です(笑い)。

‐‐最初の一号店、中華料理店「東秀」は大成功だったとか。

安沢 二五歳、昭和41年東京は小田急線の千歳船橋に二一坪の大衆中華料理店「東秀」をオープン、一号店は爆発的な人気、繁盛しました。正確には独立にあたって約二年半、大阪の中華料理店に修業に行っているのですが、ここで今では一般的ですがテークアウト(持ち帰り)方式のノウハウを学びました。

店でラーメンなど食べさせるとともに、片方でギョウザ、シュウマイなどを手作り、いわば店内で実演、販売したわけです。その結果われわれの予想とは逆に売上げの約七〇%はこれで占めるとともに商圏も大きく広がりました。

‐‐その後現在では直営店を主力に店舗展開していますね。この面での考え方をお聞かせ下さい。

安沢 チェーン化については原則として直営店でやりたいとの方針がありましたので、二号店、三号店、年間二~三店舗というスローな出店ペースでした。チェーンストアの最低基準である一一号店に達したのは昭和53年です。

FC(フランチャイズチェーン)はともすればチェーン展開のスピードは速いのですが、私は最初にいいましたが平等、いわばガラス張り、真実の経営をしていきたいという飲食業の経営における基本コンセプトを持っていましたし変えてもいません。

‐‐現在、それぞれの飲食店の業態別展開はどのようになっていますか。

安沢 中華レストランの「東秀」、持ち帰り弁当店の「ファミリー」、チャーシューメン専門店「香雅」、台湾家庭小皿料理店「天龍門」二四時間営業の弁当・惣菜店「オリジン」と五つの業態で八六店舗の飲食店を経営していますが、この中の七三店舗は直営店、FCが一三店舗ありますが、これもいわば社員の“のれん分け”で、社員独立制のFC店ですので従来のFC店とはまったく異なっています。

立地探しから店舗の設計、開業などすべて本部(本社)が面倒をみる。直営店と何ら変わりません。また、FC店を除いたこれら店舗の総売上高は昨年で四二億円。今年は新型開発店、二四時間営業の弁当・惣菜店「オリジン」を含めて一八店舗の新規出店(リニューアル含む)も貢献、売上高で五七億円(前年対比一三五・七%)は達成できると見込んでいます。

いずれにしてもFC制度については、ともすれば本部が食材など帳合いだけで稼ぐ、人材がいないのに加盟店に無理な指導を行うなど、その短所面が目立つ企業が多いのも事実ですね。

‐‐ところで“バブル以後”昨今の飲食業界の動向といった面ではどうご覧になっていますか。

安沢 昭和40年代の後半から50年代に企業化された大手飲食企業が誕生、その後上場、これらの企業群が社会的信用度を高めるとともに一つの外食文化を日本において作ってきたという功績、その役割は大きかったと思います。

ですから、これら大手飲食企業を中心にこの年代にかけて第一期の外食企業のすみわけが出来たという見方ができます。そして、バブル期以後、昨今は第二期の変革期にきていると思います。

簡単にいえば消費者が外食店を利用する動機がそれぞれ使う目的によって大きく変化してきた。ですから今後は市場があるから店舗を作るのではなくマーケットを自らが作り出す、よりスペシャリティを持った飲食店でないと成長していきません。

‐‐最後に将来の夢、展望をお聞かせ下さい。

安沢 われわれは大手企業と違って組織が巨大化していない。小回りがきく、この面では裾野の広い外食市場の中で第二期の成長期、大きく飛躍するチャンスの時期と認識しています。具体的なビジョンとしては提携、合併も含みますが、二〇〇三年までに一〇〇〇店舗、一〇〇〇億円企業へ向かって歩んでいきたい。

また、具体的には二~三年後に店頭公開、これらへの準備は進めています。

‐‐どうもありがとうございました。

昭和16年生まれ。新潟県出身。明治大学卒業と同時に飲食店の経営を夢みて大阪の中華料理店に見習いに入る。二年半修業。昭和41年に東京・千歳船橋に二一坪の大衆中華料理店(東秀)をオープン。以後、持ち帰り弁当店「ファミリー」、チャーシューメン専門店「香雅」、台湾家庭小皿料理「天龍門」など東京都、神奈川県を中心に八六店舗を経営する。

また、昨年12月から展開した二四時間営業の弁当・惣菜店「オリジン」は弁当の種類一五種類、店内には惣菜コーナーを設け時間帯によってサンドイッチ、おにぎり、焼き魚、煮物、おでん、サラダ類など豊富なメニュー構成による新業態店として注目を集めている。今期中に「ファミリー」からのリニューアルなど含めて二〇店舗に拡大していく方針という。

また、飲食業はいかにオリジナル商品を持っているかがカギと仙川、八王子の二工場(セントラルキッチン)ではギョウザ、麺さらには各種惣菜類など製造している。(文責・木村)

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