だから素敵! あの人のヘルシートーク:登山家・医師・今井通子さん

2002.06.10 82号 4面

世界初の女性アルプス三大北壁完登など、登山家として輝かしい実績を持つ今井通子さん。そのフィールドはいま、「より高く」だけでなく「より広く」でもある。ただ単に地図上のフットワークの範囲が広いというだけでない。ひとつの活動が連鎖し、めぐりめぐって意味ある世界を繰り広げていく‐そんな今井さんの世界をインタビューした。

年間九〇日くらい、国内・海外の山に入っています。登山だけ行っているのではなくて、ウオーターラフティングやカヌー、あと田んぼや畑や森での作業とか、そういうことも含めて活動しています。前の日は森林の下草刈りをやって、次の日は山登りをするとかですね。

長野県の白馬に田んぼと畑を借りて農作業をするようになって、もう一〇年になります。現地の農業の専門家にインストラクターになってもらって指導を受けているんですが、無農薬で肥料もほとんど入れていません。年に何回か現場に行って、いない間は見合った価格で管理をしてもらっています。

田んぼは二反歩。最初は寒冷地に強い「ヤエコガネ」という品種を作りました。そのインストラクターさんから「初めてやるんだから、味がおいしい、まずいというよりもちゃんと育ったほうがいいだろう」と言われてね。長方形の田んぼの短い辺の方に線を引いてもらったのも教えられました。長い方に引く方が経済効率がいいと思うでしょ。でも「あなた方は都会の人間だから、こっちに引いたら腰が痛くなってしまうだろう」と言われて。作業がちゃんと分かっているから、そういうアドバイスができるんですよね。いまは味もいい「あきたこまち」を作っています。ホントにおいしいですよ。自分が作ったし、化学肥料を使ってないし、無農薬だし、そういうおいしいと思える原因みたいなことがたくさんあります。それから玄米でもらって冷凍庫に入れておいて、食べる分だけ家庭用の八分米か精米にしているからいつも新鮮なんです。

畑にはジャガイモ・ニンジン・ピーナッツ・コンニャク・サツマイモ、あとダイコンなどを植えています。今年は冬瓜なんかもやってみたいと思っています。

山登りを楽しみながら現地で畑や田んぼの仕事もやって、それが結果として水や土や森の保全につながればいいなと思っています。まあ針の穴より小さいですが、それでも意味はあると。

環境問題といっても、ただ「地球にやさしく」みたいなのは不遜で、私は好きではありません。そういうと一〇年ぐらい前は「何とわがままな」「セルフィシュな」と言われていたけど、最近はみんなも分かってきてくれていますね。地球はどんなにいん石が落ちてきてボコボコになろうが、自身が爆発しない限り存在します。そうなると人間は住めなくなるかもしれないけど、微生物などは地中深くに住んでいるでしょう。生態系は変わっても残るんだから、そういう意味で地球にやさしくする必要はない。

でも困るのは人間です。酸素がとれなくなったり、水が飲めなくなったりしたら、人間は死んでしまいますから。だから人間のために、私たちのために、もともとの地球に戻す、保全しなければならないんです。「保護」という言葉は、自分が一番偉くて「やってあげる」という態度です。もし自分が生きるためにと考えれば、もっと全体が見えてくる。いまやるべきことも見えてくる。「保全」するので精いっぱいなことにも気づくはずです。

お休みの日に山や海などの自然の中に定期的に行くことは、私たちの健康を保つ上で、いま本当に必要なことです。

健康の三原則は休養と運動と食といわれているけれど、それだけで済んだのは昔、周りの環境が人体に悪影響を及ぼさなかった時の話。第一次産業しかなかったころと同じような環境、それがある場所に行って、食べる、休養する、運動する、この三つをやらない限り健康は保てません。人体が持つ反応する力は、自然との兼ね合いの中で長い時間かけて育ててきたものです。森の空気を吸うとだ液の分泌が良くなる。見えないところでお互いに作用しているからです。遮断された屋内にいると、その作用は失われていきます。もともとのところに身体を戻して、リセットしないといけない。

自然がある所ならどこでもいいかというと、そうではない。学者が実験したところによると、三〇~五〇メートルのかなり密閉した森の奥に行かないと、清浄な空気にはなってないそうです。一概に遠い北アルプスまで行かなければいけないというわけではありません。東京なら都心から五〇キロだけ離れた高尾山でもいい。どこまでも道路がついている遠くの山の上に車で乗りつけて、三〇分歩いただけで「ああ、いい空気を吸った」なんていうのはウソ。それよりも自分の足で三時間、深い森に入った方が有効です。

そうした山に入る時、ぜひとも私たち山岳ガイドとご一緒することをお勧めします。

かつて山登りする人はみんな山岳会に入っていたような時代があったけれど、いまは八〇~九〇%の人がフリーです。山岳会があった時は、先輩からマナーも含めて登山技術を全部教わることができた。そういうつながりがなく自己流のままだと、とてもデメリットが多い。まず危険に対する対応能力が高まらない、それから登山そのものの幅が広がらない。自分一人でできないことは多いけれど、お金を払ってガイドに連れていってもらえば、一歩上の山にも登れるし一歩上の景色も見られます。特に地方のガイドたちは、その地元をよく知っています。生態系や四季折々のこと、そこに住む鳥がどういう生活をしているか、そういう知識も身につきます。逆に都会が本拠地の登山ガイドは、アルピニズム的な岩登りのトレーニング技術など、豊富な知識と指導法を持っています。スキルの面でもっとグレードを上げようと思ったら、外国にもバンバン行っているようなガイドと都会で提携し、現場に向かえば有効です。

「山に行くのにお金を払うのはおかしい」という考え方をたまに聞くけれど、それはおかしいと私は思います。

この世の中で生きていて、人間という動物としていい生活を目指しつつ、経済活動でも社会的に寄与することは当たり前です。どうせならいいお金の使い方をしたい。地元で自然を保全しているような人たち、例えば自治体がやっているし尿処理だとかゴミ処理とかに税金を払っているような人たち、そういう人たちが保全しているいい場所に対しては、「ありがとうございました」と言ってお金を払うのが当たり前です。山小屋で一〇〇円のジュースが二〇〇円しようと、それは良しとすべきです。ヨーロッパでは一〇〇年の昔から自然に教わるというエコツーリズムの考え方があるでしょう。

目に見えないメリットを買うことに自分の価値観を見いだすこと、人生でとても豊かなことだと思います。

このインタビュー直後の4月上旬、今井さんは桐生山岳会のチョモランマ遠征隊員として、現地に向かった。登山隊は順調に高度を上げ、第一次アタック隊は5月17日に登頂。今井さんも第二次アタック隊として18日にピークを目指したが、先行してアタックしていた日本人別パーティーの一人の具合が悪くなり、自分用の酸素を同行していたシェルパに持たせ救出に向かわせた。このアクシデントのため最終キャンプ地(8200メートル)で登頂を断念した。今井さんのチョモランマ遠征は83年、冬季登山隊長として8100メートル地点まで、その後85年の再挑戦では冬季世界最高到達点の8450メートルをマークしている。今回3度目の挑戦は惜しくも断念となったが、『百歳元気新聞』はその挑戦するスピリットと寛大な優しさに大いなる敬意を示したい。

●プロフィル

いまい・みちこ 1942年東京生まれ。東京女子医科大学卒業後、67年同大学泌尿器科医師に。現在は同大学付属病院腎総合医療センター泌尿器科非常勤講師を務める。一方、67年女性パーティー遠征隊長としてマッターホルン北壁登頂に成功してから、アイガー、グランド・ジョラスを次々と踏破し、女性として世界初の三大北壁完登者に。85年エベレスト(中国名・チョモランマ)北壁の冬季世界最高到達地点8450メートルをマーク。86年には北朝鮮最高峰の白頭山冬季登頂を果たしている。日本山岳ガイド連盟副会長。

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