9月28日。今日はコメの日
毎月8のつく日はコメの日。米という字を分解すると「八十八」という数字が現れることから。米を作るのには八十八の手間がかかると言われている。
90年代に流通が変わったことで「うまいコメ」が登場
食糧難時代の1942年、コメを中心とする主要食糧の政府管理を目指し、従来の米穀統制法を廃止し「食糧管理法」が制定され、流通するコメの全量が政府の直接統制下に置かれた。しかし戦後の経済発展により日本人の食生活は格段に向上、コメ消費量は62年をピークに減少を続け、コメ不足がコメ過剰問題へと、状況が劇的変化を遂げていった。同時にマーケットも変化し、食管法制定当初には合法の「政府米」と非合法の「自由米 (ヤミ米)」しかなかったところを、新しい消費ニーズを受け95年、両者の中間的な存在の「自主流通米」が誕生。これは「新潟コシヒカリ」に代表される産地品種銘柄米、すなわち「うまいコメ」をいい、コメが「物資」 から「商品」になると同時に、 産地や流通に競争原理が導入され、このコメを中心に流通自由化が加速化し、食管法が形骸化していった。
こうした流れのなかで1995年、「新食糧法」が施行された。コメの価格や生産、流通などで政府規制が大幅に緩和され、市場原理が導入されると同時に、ヤミ米が計画外流通米として公式に認められた。その一方で卸や小売に新規参入が増加し、コメ流通は激しい競争時代に突入した。
その後さらなる競争原理導入を目指し「売れるコメ作り」を基本に置いた生産体制の刷新を柱に04年、「改正食糧法」が施行。 政府が主体となって減反面積を決める「生産調整」が廃止され、 農協に代表される農業団体が主体となって決定する方式を採用。 前年販売実績を加味して生産量が配分されるため、生産側では売れるコメ作りが必須となった。
同時に「計画流通制度」も廃止。自主流通米と政府米(備蓄米)からなる「計画流通米」と、 自由に流通する「計画外流通米」の区別がなくなり、「検査米」と「未検査米」だけで区別するようになった。また出荷や卸、小売の「登録制」が廃止され「届け出制」となり、コメも一般食品同様、自由販売できるよう商品になった。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:佐藤路登世))