だから素敵! あの人のヘルシートーク:登山家・田部井淳子さん

1997.08.10 23号 4面

夏山シーズン真っ盛りの今月は、一九九二年に世界で六人目、女性では初の七大陸最高峰登頂者となった田部井淳子さん。エベレストやマッキンリーなどの山々を次々と制覇していった女性登山家の素顔は意外にも、主婦そして一男一女の母というプロフィル通り、きちんとした生活感のある優しい笑顔の人だ。しかしそれはそれ、やはり冒険の偉業を遂げ続けてきた人の好奇心、実行力は並のものではない。そんな田部井さんに最近の活動ぶりをお話してもらった。

これからの人生をかけてゆっくりと世界各国の最高峰に登っていきたいという想いを持っています。私が一応平均年齢まで生きると仮定してそれが二○二○年。世界各国というと国連に加盟している国だけでも一八○数カ国ですから全部は行けません。こちらが行きたくても相手の国の情勢もありますしね。でもいまはダメだとしてもそれは変わるから、とりあえず種蒔きだけはしておくという感じで。自分の生きてる人生期間中の登山計画は持っていたいなぁと。

この前はレバノン最高峰のサウダピークという三○八七mの山に登ってきました。レバノンって聞くと、ベイルート、テロ、戦争なんてすぐ思っちゃうけれど、行ってみたら私たちが新聞でインプットされたものなんてごくごくわずかなんだって分かりましたね。

確かに戦争の傷跡はいっぱいにあちらこちらに残ってはいるんですが、そのすぐそばで街の人たちが本当に活気づいて復興している様子も分かったし。レバノンの国は岐阜県くらいの大きさしかないんですが、海岸線の一一○kmがとても綺麗で、中東のパリって言われるのもなるほどなと思いました。家々は屋根がみなオレンジ色の煉瓦で白い壁。それに青い地中海に砂浜。その白い壁の後ろはオリーブの畑で、本当にのどかなんですね。

レバノン杉というのが有名なんですが、これは古代ローマの時代から乱穫されていて、ああ、そういう時代から環境破壊が起こっていたのかとか。フェニキュア人たちがアルファベットを発明したのもこのレバノン杉を輸出するためだったのかとか。最初の自分の知識はなんて浅はかだったんだろうって思っちゃいました。

世界の最高峰に登るというのは最初の目的だけれど、それだけじゃないんですね。そこに行くアプローチで村の人たちの生活に触れることができる。水道も電気もない所で女の人が子供を生んで育てている姿とかを見るとやはりスゴイなあと思います。

だからたとえ天候その他の要因で登頂できなかったとしても、じゃあ意味がなかったなんてことはない。山の高さも関係ありませんね。私にとっては知らない所に行くこと自体がもう興奮するわけですよ、どんな所かなって。だから行きたい所がなくなるなんてことは絶対にありません。日本の山だってまだ行ってない所たくさんありますから。それだけ楽しみが多いわけです。

少し前は子供たちをたくさん連れて登る機会が多かったけれど、最近は子育てを卒業した同世代やさらに年上の女性たちと登る山が多くなりました。これがまたいいんですね。同じ台所を預かるもの同士、ちょっと休憩のとき食べ物のよもやま話で盛り上がったりして。

例えばこの前の梅酒のシーズンに初めて聞いたんだけれど、採った梅を漬ける時、いったん冷凍庫に入れてからすると梅のエキスがじわじわとよく出るんだって。やってみたらこれが本当。こんなの料理の本にも書いてないですよね。本当に主婦の生活の知恵。山登りってそれまでは知らなかった人と何日間も一緒に生活をともにするのだけれど、これで得るものも本当たくさんありますね。

海外の登山にいっても、基本的に私はその土地の物を何でも食べますね。食べないと動けない。高い山でも食べられる人は元気というのは事実です。けれどやっぱり食べられなくなる人って多いですね。現地の油の叢い、羊の叢い、チーズの叢いが鼻につくとか。平地にいるときはそうでもなかったのに五○○○mを超えるとうんと強く出ちゃったり。これはもう人の嗜好だから仕方ないです。

こういう時やはり日本から持って行った醤油とか味噌とかの調味料って、現地の食材にも応用が効いていいですよ。私が必ず持って行くのはちそ味噌とか、ニンニクスライス。細かくスライスして空煎りでカラカラになるまでよーく炒めるんです。ふりかけみたいにパラパラになった物をタッパーウェアに入れてね。一ヵ月くらい保ちますよ。

疲れた時、お煎餅みたいにパリパリって食べてもいいし、野菜炒めにかけたりご飯を炒めるとき調味料にしてガーリックライスにしたりするのもいい。バター、オイルで炒めて味噌を入れてニンニク味噌にするとごはんがすすみます。醤油とニンニクがあれば現地のビネガーでも和風ドレッシングになるし。こういう風に工夫すれば、食欲のなくなった人でもわりとするっと食べられます。

山に登り続けるための日常の心がけですか。ひとつだけいま凝っていることがありますね。足と靴です。

本当にいい山登りがしたいなと思ったら山に行くときだけいいシューズ履いてもダメだと思うんですよ。普段、一番長い時間履いている靴を足の指で地面を蹴れるいい物に替えました。靴下も一本一本の指が離れたタイプにして。靴はドイツの物ですが、実に快適です。指が曲がらずにはけるので気持ちいい。小指でもバランスを保てるというのがきちんと意識できます。なんでもドイツでは内臓はもとより歯が悪くても靴から直すというくらいだそうです。私もこの靴をはいてみてそのくらい足元って大事だといま思います。どんな山だって足から登るんですからね、靴と足の裏と足の指のマッサージ。これも効果ありますよ。

そのほかには特別なことは何もしていません。このところ、一年のうち海外ツアーが一○○~一二○日、国内が三○~五○日くらいだから、生活サイクル自体に山が入り込んじゃっているせいもあるけれど(笑)。

主婦の方はみんなそうだろうけれど、家庭にいる時の方がずっと忙しくて時間がないですからね。登山の時はそりゃあ4~5時起き、早いときは3時とかだけれど、家にいる時もやっぱり5時起きです。山に入れば寝るのは8~9時だからこっちの方がよっぽど身体を休められます(笑)。まあ、私にとって山は生活の充電ですね。

これは女の人はみんなそうでしょう。この前、一泊二日の山行で一緒だった同世代の女性がこんなことを言ってました。「忙しくてお休みなんてどうかなあって思ったけれど、やっぱりきょう来てよかったあ。いい空気吸っていい景色みて身体動かして。これでまた一週間、おばあちゃんの介護がんばれる!」って。ね、やっぱり山っていいですよ。

●田部井淳子さんのプロフィル

一九三九年、福島県生まれ。一九六二年、昭和女子大卒業後、社会人の山岳会・龍鳳登高会に入会し、「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。一九七五年、エベレスト日本女子登山隊副隊長として世界最高峰のエベレストに女性世界初の登頂成功。一九九二年にこれも女性では世界初の七大陸最高峰登頂者となる。

著書は「エベレスト・ママさん」(新潮社)ほか多数。最新刊は「さわやかに山へ」(東京新聞出版局)=写真。

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