らいらっく人生学:憧れの“隠棲”にありて思う昔
知人の葬儀で、佐世保市に移り住み念願の“隠棲”に入って二年になるM氏に会った。
佐世保は、長崎市もそうだが、急峻な山の斜面がそのまま海に滑り込み、深い入り江をなす。わずかな平地しかなく、人々は山肌に寄り添うようにして暮らしている。妻の故郷でもある、その風情が、ことのほか気に入ったのである。訪ねたことはないが、M氏の写真を添えた当時の便りによれば、『寓居は車も通れない細い階段の道を登り詰めたところ。展望佳、俗塵にあって俗塵を去る』と満足気だった。
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M氏は西行、芭蕉、山頭火とつらなる漂泊の詩人とは縁が遠く、根っからの俗人であり、しかも居の定まらぬ人だった。父が転勤ばかりのサラリーマンだったので、ほとんど日本全国を渡り歩き、M氏の心にはおそらく“古里”の感覚がないと思われる。大学を出て、自身の道を歩み始めても、浮浪が続く。
テレビ会社に就職するも長続きせず、フリーのカメラマンになるも長続きせず、バーテンになるも長続きせず、保険外務員になるも長続きせず、…と転職すること数限りなく、そのたびに地方を転々とした。それでも臆するところは微塵もなかった。たまに会って腰を据えれば、肝臓を痛めているにもかかわらず一升余の日本酒を平らげて、さして酔うた風もなく、終始、快活だった。
五○歳を過ぎたころ、東京でN紙の販売店を始めたと聞き、友人たちは「いつまでもつやら…」と噂し合ったが、これは折からのバブルの波に乗って部数拡張が好調に推移し、ようやく定着するかにみえた。子供のない夫婦の気安さで、中国やアラブ系の留学生を配達員に雇い、親代わりに面倒をみて、それまでにない意欲を燃やしているようでもあった。
たまに訪ねると、高価な座敷犬など抱いており、販売店というのは儲かるんだな、といった印象があって、どこかM氏には似合わないな、とも思った。
やがてバブルがはじけ、経済専門紙の拡張が思うに任せなくなると、M氏は惜し気もなく販売店の“株”というか、権利を売り払って、店をたたんだ。一○年以上も勤め上げたお蔭で、五○○○万円余りを手にし、悠々と隠遁の生活に入ったのである。
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終わりよければすべて善し、のはずなのだが、M氏の表情は暗かった。
「下りはいいんだがね、下の街に散歩に出て、帰りは石段を一時間も登るんだよ。始めは運動のつもりで結構、励んでいたけれど、息切れはするし、毎日、同じ繰り返しでは飽きちゃうし…。確かに景色は素晴らしいが、これもおなじもんだしな」
と口をついて出るのは、退屈をかこつことばかり。彼の目には、すでに生気がなく、遠く浮浪の昔を見ているかのようだった。ありふれた教訓だけれど、欲しいものを手にしたとき、それはすでに違ったものになっている。
彼にもし、往年の意気があるのなら、再び浮浪の生活に帰るべきなのかもしれない。