ヘルシー企業の顔:ヒガシマル醤油・浅井博相談役

1999.09.10 48号 12面

温和な気候、肥沃な大地に城下町の面影をいまも残す、うすくち醤油のふるさと播州龍野。童謡「赤とんぼ」の碑があり、童謡の里としても知られる。この地で生まれ、この地で大きく育ったもの二つ、うすくち醤油とそのトップメーカー、ヒガシマル醤油(株)の淺井博取締役相談役。同氏はこの9月で御年九二歳、もちろん現役。龍野の街を慈しみ、うすくち醤油とともに発展を願い尽力してきた。今回は淺井博相談役に龍野の地から始まったうすくち醤油のこと、そしてご自身のこと、その二つを育てた龍野の街のことについてじっくりと伺った。

この龍野の地は、播州小麦と赤穂の塩、揖保川の水そして三日月大豆に恵まれているんです。揖保川の水はね、軟水で鉄分が少ないから醤油作りには適しているんです。それもうすくち醤油に適している。うすくちはこの龍野で初めて作られました。龍野がうすくちの発祥の地です。

龍野はうすくち醤油のほかに「揖保の糸」に代表される素麺も盛んです。この地で商業が成り立ったのは、昔は揖保川に帆掛け舟が来て、港まで大量に物を運ぶことができたから。そのおかげでうすくちは大阪、京都という大消費地へと広がったんですね。

うすくちは京野菜によく合うんですわ。それに京都には精進料理というのがあるでしょう。うすくちは京の精進料理とともに普及して、龍野のうすくち醤油が知られるようになりました。その時の京都所司代を務める藩主さん、いまでいう府知事のような人ですが、その人が保護奨励をして下さって次第に発展したんです。

醤油そもそもの歴史は、四〇〇年ほど前に始まります。覚心という禅僧が宋から持ち帰った径山寺みそから分離したものが始まりらしいです。桃山時代には醸造法が公開され、龍野では桃山時代の天正15(一五八七)年にはすでに醤油が作られていたという記録が残っています。醤油は東西ともに歴史を持っていますから、深いですよ。

中学までは龍野の川や山で遊んでました。高等学校から龍野を離れて、名古屋の第八高等学校、そして大学はいまでいう東京大学にいきました。東京では下宿をさせてもらったんですが、あったかい家庭でね。かわいがってもらいました。東中野でしたが、著名な人の家がたくさんありました。それもいま話すと大昔の話やね。七〇年前の話ですから。

私はね、身体の骨節が強いといわれるんですが、これは高校時代に陸上競技部のマネジャーをやりまして、いや、やりましてというよりやらされましてね。それは当時龍野中学は陸上競技が強かったことと兄の跡を引き継がされたためです。グラウンドにローラーを引いたり、なんやかんやと世話をするんです。私自身は陸上選手ではなかったですが、こうしてマネジャー業をしているのも、かなりの運動になっていましたね。これが健康に良かったのか、体力がつきました。体育には縁があって、ついこの間まで龍野市の体育協会会長をやっていました。さすがにもうやめさせてくれって言うて、5月にやめましたけどね。

大学を卒業して二年ほど問屋の弥谷さんで修業させてもらいました。その時代は問屋さんも自分のとこで修業した子を特約店にしてましたから。そして淺井醤油に入社です。途中で菊一醤油と合併して龍野醤油となり、後にヒガシマル醤油(株)と社名を変更しました。

途中に戦争があったでしょう。統制でうすくち、こいくちの違いなんてなくなったんです。窒素分がいくつ、なんて基準でしたから。でもそのときに私らは辛抱して少しでもいい物を作ろうと頑張りました。そして、配給が解除になってから「ヒガシマルさんのはずっと味がよかった」って言われましてね。辛抱して良かったと本当に思いましたよ。

醤油屋はね、長寿が多いんです。だから減塩が健康にいいなんて、私らには成り立ちません。塩を摂るから健康なんですわ。塩を減らしたら、しんどくなりますよ。私は刺身を食べる時もうすくち醤油だし、漬物にもたっぷりうすくちをかけますよ。おいしいでしょ。

病気ですか?この間初めて盲腸で入院しました。三年前だから八九歳の時。甥が姫路で医者をやってましてね、どうも腹が痛いから診てもらったら盲腸や、ってことで、すぐに手術して取ってもらいました。回復が早いって驚かれましたよ。病院にも醤油を持って行きましたよ。醤油屋ですからね。先生も何も言わなかったですよ。病気はそれだけ。あとは心臓がちょっと弱ってきてるから、夏の暑い時だけはゴルフはやめとけ、と言われていますけれどね。

私は元来のんき者なんです。あまりこだわらず、浅く広く知るタイプなんでしょうな。だから何でも好き。右もない、左もない、中道を歩む。ごてごて人とやり合ってもゆっくり話しあえば溶けてくるもんです。こんな性格だから、仲介役や役員やなんや、と頼まれごとが多い。こうやって過ごすのが好きですから、生涯そんなふうに人と接して生きていきたいですね。

◆プロフィル

あさい・ひろし 明治40年9月13日、兵庫県龍野市生まれ。昭和6年東京帝国大学(現東京大学)経済学部卒業、同年淺井醤油入社。17年龍野醤油取締役に就任、専務、副社長を経て38年代表取締役社長就任。翌年ヒガシマル醤油(株)に改称。会長、名誉会長を経て平成10年取締役相談役に就任、現職。昭和45年から龍野商工会議所会頭、47年から龍野観光協会会長、60年から平成8年まで日本醤油協会会長、その他多数の民間団体会長役を務める。昭和57年勲四等旭日小綬章、59年紺綬褒章、平成5年勲三等瑞宝章受章。

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