なが~いつきあい!味な友だち:あみ印食品工業「あみ印炒飯の素」
インスタント食品の先駆けとも言うべき炒飯の素が登場して半世紀が経つ。元祖である「あみ印炒飯の素」は、いまも発売時のままの姿で店頭を賑わせている。戦後の食糧難時代に育った五〇代半ば以上の人たちにとっては、母親がフライパンでジュウジュウ炒めながら作ってくれた焼き飯は忘れられない味であり、ラジオから流れてきた「鐘は上野か浅草か、いま鳴った鐘は、あみ印炒飯の素」のCMが懐かしい。
この「炒飯の素」の生みの親・あみ印食品工業(株)(東京都北区、03・3894・4161)の池田春雄社長は大正8年1月生まれの八二歳。「冷やし中華スープ」など中華調味料の関連商品を市場に送り出し続けている。いまでも味覚に対するベロ(舌)メーターは健在で、若い開発部員などはかなわないというほど味覚が鋭く元気はつらつの社長である。このベロメーターから生まれた商品かと思えばロングセラー商品であり続けることに納得がいく。
商品開発のキッカケは、中華のたれの素の開発で苦戦していた時、何気ない主婦の「お櫃の冷やご飯を何とかおいしく食べさせたい」という話からだったという。中華たれの素を焼き飯向けに改良し試食を重ねた。人気の魚肉ソーセージにタマネギや野菜を入れて作った焼き飯が「抜群においしい」との評を受けて、東京の台所と称される築地市場で売り出したところ、その日に作った商品はその日のうちに捌けてしまい、瞬く間に全国に広がっていった。その後はカレーメーカーなどからカレー味や洋風味などバラエティー商品が登場して炒飯の素市場が形成され、いまに続いている。
登場した昭和32年は南極観測が始まり、あみ印炒飯の素は携帯食料として持参され、昭和基地でも炒飯が食べられたという。