トップインタビュー “お袋”の味を弁当に 大江戸食品・谷江キヨノ代表取締役
‐‐大江戸食品さんは一昨年のコメ不足による大混乱の時に弁当を四〇〇〇食から六五〇〇食に四割伸ばしたとお聞きしました。その秘訣は何だったのでしょうか。
谷江 私どもは昭和35年に創業しましたが建物が古くなり新築、借金返済のために売上げ拡大政策をとろうとしていたところに、降ってわいたようにコメ不足が起こりました。弁当屋の生命線でもある炊飯ラインも、コンサルタントを通じて最高の設備を整えたばかり。ご飯の味も格段にあがり、「さあ、これから」という時です。逆に、この問題が私をはじめ社員の心を「何がなんでも増やそう」と発奮させたようです。とにかくコメがないので他社も増やしたいけどじり貧になっている時。「借金返済」のお題目があったので必死にコメ屋と交渉。何とかコメの確保ができました。あとは社員がお客さんをどんどんとってきました。営業専門の社員はいないので、配達しながら情報を集め、後で私と常務、事務長がお伺いするんです。
新しく入れた炊飯ラインで作業員も八人から四人に減りましたし、当時はタイ米二割の混合だったのですが苦情ひとつきませんでした。逆に「おコメがうまい弁当」でセールスできました。炊飯技術でこうも違うのかと驚きましたね。
同時におかずも見直しました。現在、四三〇円と五五〇円の弁当が主流ですが四三〇円でもおかずは一三品、五五〇円は一五品入ります。料理長は料理屋の経験があり、「お袋の味と料理屋の高級な味」が自慢となっています。私は「手抜きだけはしないで」と言うだけです。ですから魚も切るところから、フライ物もパン粉をつけるところから始めます。それでも、新ビルを機会に新設備にしましたので、人件費が三七%から二七%にダウンしました。年商七億五〇〇〇万円、材料費四八%です。現在も四〇〇〇食の時と同じ従業員八四人で対応しています。
‐‐弁当屋を始められたきっかけは何ですか。
谷江 私は料理を作るのが大好きで、食べてもらうのも食べるのも大好き。当時、この近辺(江戸川区中葛西)は工場地帯で、現場で働いている人が冷たい弁当を食べていましたので、温かい弁当を食べてもらいたいと思ったのがきっかけです。昭和35年、私が三七歳の時です。息子など八人で八〇食からスタートしました。当時はほかにそういうサービスがありませんでしたので、とても重宝がられました。初めての価格設定もほかに例がありませんのでタクシーの初乗り料金、確か八〇円だったと思います。
銀行の支店長をしていました主人は「おまえは料理が好きだから喜んでもらえるならやりなさい」と言ってくれました。新潟出身なので「農家は夫婦で働いているから」と主婦が働くことに抵抗はないようです。
途中息子が天ぷらや、割烹、クラブ、喫茶店とさまざまな店を出したこともありますが若く急逝しまして、また弁当一つに絞りました。息子の形見と思って命がけで弁当を守っています。経営していて弁当屋が一番楽しいです。こちらから攻めていけますからね。
‐‐弁当業界は3K職場で人材の確保が難しいと言われますがいかがですか。
谷江 スタートした時の人たちはほとんど定年まで居りました。みなさん勤める期間は長いですね。これまでになったのは社員に恵まれたからですので、私の今の目標は「弁当屋で一番の給料を払える弁当屋」です。支払い関係も伸ばしたことはございませんが、業者さんにも本当によくしてもらっています。逆に言うと反抗する人もいなかったので、のんびりしすぎてしまったかなというきらいはあります。
休みも取る人が少ないです。工場長と事務局長は二〇年間無休。肋骨を折ってもお子さんの結婚式があってもその時だけ出かけてまた職場に戻ってきました。弁当屋は好きでないとできないことです。ご家族の協力にも頭が下がる思いです。上の者が休まないと下の者が休みにくいものですから、気にしないで休むように言っていますがやっぱり皆出てきますね。
‐‐今も毎日築地に行かれるとお聞きしました。
谷江 創業したときから築地には三七年通い続けています。築地は威勢が良くて朝「おはよう」と大声をかけ合うのが楽しい。創業当時はモンペをはき着物きて下駄を履いていきました。「おばちゃん」なんて言ってた子が今はご主人。決まった店でしか買いませんから、皆が待っていてくれます。ただ、最近は築地のお客さんがめっきり少なくなり、日に日に駐車場がガラガラしていくのがわかります。寂しいですね。
私はビルを新築した時に二〇歳若返り宣言をしました。あと一〇年は現役で、あとの人のためにも攻撃的に売上げを伸ばすために今後は都心にも攻めて行かなくてはいけないと思っています。
‐‐ありがとうございました。
大正12年1月生まれ。深川育ちの七一歳。「借金返済」を機にこれまでの「のんびり経営」から「攻めの経営」に切り替えることを自身に言い聞かせた。「二〇〇〇食アップした経験が全社員の自信と誇りになっていて、とても良い状態。これをキープするためにも私自身が変わらなくては」と当面は一万食を目指す。「主人は八四歳になりましたが、家庭のことをいろいろ気遣ってくれます。家庭には仕事を持ち込まない主義」。柔和な語りから円熟したエネルギーが伝わってきた。
(文責・福島)