外食の潮流を読む(43)函館「ラッキーピエロ」が地元の人々から真に愛される理由
昨年10月26日、NHK総合テレビで22時45分から23時10分まで、ドキュメント番組が放映された。内容は函館のハンバーガーレストラン「ラッキーピエロ」を訪れるお客さまのこと。実にほのぼのとした様子や会話が紹介された。地元の人は同店のことを愛着を込めて「ラッピ」と呼んでいるので、ここでもラッピという略称で述べる。
ラッピのことを詳しく知る人は「地方都市の奇跡」と呼ぶ。それはまず人口30万人に満たない函館市およびその周辺で17店舗も展開していること。同エリアにあるハンバーガーのナショナルチェーンをすべて合算しても、この数には及ばない。創業者は1942年5月生まれ、神戸市出身の王一郎氏で、中国料理店の経営者を経て、生まれ故郷に似ている函館の街が好きになり、ここで事業を起こそうと69年、27歳の時に居を構えた。
当初は、テーマ性を帯びたパブ・レストランやファミリーレストランを展開していたが、87年6月にラッピ1号店をオープンした。それは、ハンバーガーレストランを展開しようと考えたのではなく、今日、函館観光を象徴するベイエリア・倉庫街が88年に開発されることを知り、この地に注目したのが発端であった。
商品はビッグサイズである。チェーンの出店に対抗して、ミートの量を倍以上の120gにしたり、王氏の中華料理の技を取り入れたチャイニーズチキンバーをラインアップしたり。また、出来たて熱々の状態で提供するようにした。
ラッピが全国的に知られるようになったのは、まず、北海道をオートバイで旅行する「ミツバチ族」が北海道の旅先のノートに「函館にラッピというとんでもなく面白い店がある」と書き記していたこと。それが、一般の観光客にも波及して、函館を訪れたら必ず立ち寄るレストランになった。
次に、函館出身のロックバンド「GRAY」のメンバーであるジローが写真集を出したときに、「俺たちのソウルフード」というコピーとともにラッピを紹介したことが追い風となった。
さらに、ラッピはさまざまな社会貢献活動を推進していく。街角の清掃活動、海辺のゴミ拾い、植樹活動、災害時の募金活動などをお客さまに呼び掛け、いつしか定例行事となっていった。さらに、中高年の女性が多くを占める従業員たちとコミュニケーションを厚くすることを大切にした。
王氏は、自著『B級グルメ地域No.1パワーブランド戦略』を12年6月発行しており、私はこの本のプロデュースを担当した。制作を進める過程で、王氏にこれらの活動の狙いを何度も伺った。そこで答えてくれたことは、「私は地元の人たちに喜んでいただいて、ともに幸せになりたい」ということであった。その思いはラッピにすっかりと浸透している。
ラッピの商品には力強さがある。従業員には笑顔と活気がある。そして、お客さまは目には見えないながらも温もりに満ちた空気を求めてやって来る。ラッピの放映を私は終始目をウルウルさせながら見ていた。
(フードフォーラム代表・千葉哲幸)
◆ちば・てつゆき=柴田書店「月刊食堂」、商業界「飲食店経営」の元編集長。現在、フードサービス・ジャーナリストとして、取材・執筆・セミナー活動を展開。