10月15日。今日はきのこの日
10月15日は日本特用林産振興会が制定したきのこの日。きのこが最も多く取り扱われる10月の中間の日に、きのこの魅力をアピールするために制定された。
日本で最も生産量が多いきのこ、椎茸。江戸時代には総輸出額の1%を占めた
大阪の椎茸商が、元文元(1736)年に扱った干椎茸は、790石650合(30t)あった。
これらの椎茸は、藩の直営で生産・集荷されたものが、大阪蔵屋敷に送られ、物産問屋(日向物産問屋など)の手を経て椎茸商に渡った。
江戸には、椎茸商から江戸廻船問屋を経て、江戸の乾物商に送りこまれた。大阪から江戸に送られた乾椎茸は、天保年間(1830~43年)には、年1,400箱 から1,500箱と伝えられる。当時の取引は容積で行われて おり、1箱を9斗詰とすれば、 約30t程度のものになる。
政治都市として人口100万人以上にふくれあがっている江戸には、大阪送りのもののほか、伊豆、駿河、遠江など関東の産地からも入荷したと思われるが、 その量はわからない。だが、御殿女中の髪型に「椎茸・タボ」 とよばれるものがあったくらいだから、乾椎茸の知名度は相当高かったようだ。
とはいっても、当時の生産量はそう多くはなかった。山口和雄氏の『幕末貿易史』には、文久元(1861)年上半期に、横浜港から約61t輸出され、その金額は同期の総輸出額の1.35%にあたるとでている。また、慶応2(1866)年に152t、同3(1867)年に172tあまりが輸出され、それぞれ総輸出額の1%前後を占めている。その点から、当時の生産量は300t近くあったのではないかと想像している。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:井口勝啓 ))