今日は何の日

11月29日。今日はいい肉の日

11月29日は「より良き宮崎牛づくり対策協議会」が制定したいい肉の日。日付は語呂合わせに由来する

乳肉・油脂 今日のキーワード:

日本の食肉の歴史

わが国では、牛や馬は縄文時代から農耕に使われる一方で、牛神や馬頭観音など信仰の対象とされてきた。縄文時代の遺跡からは、牛や馬の骨が出土しているが、馬の骨は関東以北、牛の骨は関東以西に多く出土しており、馬は北方原産、牛は南方原産の家畜とされている。

縄文人の食生活は、狩猟で捕獲した鳥獣の肉や漁労による魚介類、そしてトチや栗、クルミなど堅果類とバランスがよく、土器をもち、塩を作ることができたために、それらの食べものを煮炊きしたり、味つけしたりしていた。

さらに気候も温暖で当時から春夏秋冬があり、季節に合わせた種々の食べものを組み合わせた食生活は、現代の食生活の原点ともいえる。世界にも類のない、1万年も続いた縄文人の時代は、食生活の文化である。

このように大自然の恵みによる自然採集社会の縄文時代では、 季節により収集や捕獲ができない場合もあり、人々は定住できず食を求めて移動を続けていた。

ところが縄文時代の晩期に入ると、気候も寒冷化に向かった。温暖であった時期に比べて平均で3.5度も低くなり、動物相や植物相にも大きな変化をもたらした。食生活の主食であったドングリが年々減少し始め、それを食べるイノシシの繁殖率が落ち南下し始めていった。

ついに食糧危機に見舞われ、人口も大幅に減少し、人口集中地区の関東地方でも減少した。自然の恵みに栄えた縄文時代も終焉に向かい、食生活も大きく 変化していった。

そして弥生時代に入り、水稲農業や家畜の飼育などが始まり、 家畜の原産地は、馬が中央アジア、牛はインド、豚は東南アジア・中国とされ、牛馬は中国や朝鮮から日本に「いかだ」で人と一緒に渡来した。この渡来人が弥生時代(紀元前300~300年頃)を築いたことが定説となっている。すなわち、渡来人が水稲時代と家畜の始まりを築いたのであり、弥生土器は渡来人が日本に渡来する前から使っていたものである。

弥生時代の発祥地については いくつかの説があるが、北九州の可能性が高い。その説を裏づけるように、弥生時代の人口は西日本において飛躍的に伸び始め、縄文時代は東日本の人口が多く、弥生時代は西日本が上ることから、弥生時代の中心は 近畿・九州といった西日本とされている。この人口の増加は朝鮮・中国から移住した渡来人が新しい文化を持ち込み、併せて水稲農業を全国に広めたことも関係するようである。

一方、弥生時代、家畜の種類は増えているが食用家畜として飼われていたわけではなく、どちらかというと鳥獣を捕獲して食用としていたようである。弥生時代の日本人は農耕文化が定着し始めたため、家畜の肉を食べる習慣は広がらず、これらの肉は食べるものではないとの観念をもっていた。なかでも鶏は神聖な鳥として、肉や卵は食されておらず、以降明治まで鶏については文献にほとんどでてこない。

ところが古墳時代に入り、肉を煮たり焼いたりする肉料理が作られ、肉汁も利用された。貴族の間では、鳥獣の肉を薄切りにして乾燥させた脯(ほしじ) や肉(宍)醤(ししびしお)といわれる調味料も造られていた。

しかし、大和朝廷の538年に百済から仏教が日本に伝来し、肉食を忌み嫌う仏教徒の風習にならい、天武天皇は676年に「殺生禁断令」すなわち「肉食禁断令」 で「牛、馬、犬、猿、鶏の肉は 食べてはならぬ」布令を出した。このなかに猪(豚)と鹿が入っていないのは、「放生令」により自然に帰しなさいという指令を天武天皇が出したためである。「肉食禁断令」はそれ以降、歴代 の朝廷が何度となく出している。

一説によると、「殺生禁断令」はよく肉を食べる渡来人に対しての抑圧ともいわれている。いずれにせよ、「肉食禁断令」により日本人は明治にいたる1200年にわたり「家畜の肉は食べない」という日本人独自の食肉習慣をもつようになった。

その後、ようやく1869(明治2)年に国が、と畜場(屠牛場)を開設し、と畜検査規則の制定などを行った。74年には東京府下の新谷町のと畜場で、牛が年間4,453頭と畜され、97(明治30)年には全国でと畜場が1,396カ所におよび、 屠牛数は23.3万頭に達した。

そして、日清戦争や日露戦争、 第一次世界大戦などにより食肉産業も影響を受けたが、昭和に入り芝浦と場が開設された。牛のほかに豚の飼育がさかんになり、1939(昭和14)年の豚のと畜頭数は131万頭、枝肉生産6.9 万tと戦前で最高の数値となった。しかし第二次世界大戦終了後は大幅に減少した。

戦後いち早く養豚が回復したが、1949年頃は子豚1頭1万円と高値がついた。50年頃に種豚が輸入され、改良などが行われた。

そして、55(昭和30)年代以降は食肉需要が増大し、牛肉より豚肉や鶏肉が増大した。

その後、高度成長により家庭における所得の向上と食生活の洋風化および冷蔵庫の普及で食肉や牛乳などを保存できるようになると、穀類中心だった食生活から食肉や乳製品などの畜産物へと移行し始めた。

食肉や牛乳・乳製品などの畜 産物の消費量が増加してくると、植物性たん白質から動物性たん白質の摂取量が増え、さらに栄養素の充足率が高まった。とくに食肉を100%利用するハムやソーセージなどの食肉加工品が、消費者のライフスタイルの変化で消費量が高まった。

(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:ツカダ食健事務所 塚田 武))

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