今日は何の日

5月21日。今日はリンドバーグ翼の日

1927年5月21日、チャールズ・リンドバーグが飛行機でパリに到着。ニューヨークから5800kmを飛行し、大西洋無着陸横断に成功した。 パリには無数のパティスリーが店を構えており、パリから来た有名シェフがフランス菓子の技術を伝えたことにより高度経済成長期の日本では洋菓子ブームが加速した。

菓子 今日のキーワード: 洋菓子

フランス菓子がブームを起こす

1970(昭和45)年には大阪で万国博覧会が開催されたが、この万博を契機に洋菓子が急激に変化した。この時も各国のパビリオンでは食の催しがあり、食に関する関心が高まった。そして万博後、国の名を店舗やお菓子、料理に国分けするようになったと思える(例:フランス菓子店舗名、フランス料理○○)。 国内の洋菓子店が外国、とくにヨーロッパの菓子店と友好関係を結び、最新の技術を導入したり、情報を収集するようになった。そしてこの頃を境に、業界 の若い人たちがグループを作り、洋菓子の研究をする風潮が高まると同時に、フランス菓子全盛時代へと入っていく。

ちょうどその頃フランスの料理人、ジャン・ドラベーヌ氏が来日し、焼き菓子、デニッシュ、ブリオッシュ、クロワッサン、アミューズ、カナッペなどを講習し、洋菓子ブームのきっかけとなったが、これが刺激となってヨーロッパへ勉強にいく技術者が増えた。それ以前にヨーロッパで修行していた人は料理人、 菓子職人を含めて数人であった。

1974(昭和49)年になるとパリのフォションのグランシェフをしていたクロード・ボンテ氏が来日し、日本全国でフランス菓子の講習会を開き、センセーシ ョンを巻き起こした。ボンテ氏はその後数回来日して技術指導を行ったが、日本の洋菓子業界に与えた影響は計り知れないものがあった。それ以降、各団体 や個人がフランスを始めドイツ、オーストリアなどから技術者を招聘し、さかんに講習会が開かれるようになった。

昭和50(1975)年代中頃から平成にかけて、生のフルーツやピューレを使った製品が増えてきた。それは生や冷凍のフルーツが日本に入りやすくなったと、あるいは日本でも作られるようになったことが大きな原因であると思われる。この先駆けになったのは1970(昭和45)年頃ある洋菓子店がカナダからフランボワーズ(ラズベリー)を輸入して洋菓子に使ったことではないかと思われる。平成になってからはフランス人などの外国人が日本のレストランや洋菓子店で働くようになり、フランスを始めとするさまざまな国の味がそのまま味わえるようになると同時に、日本人がヨーロッパなどに行くことも多くなり、食の環境がグローバル化していった。

(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:協同組合 全日本洋菓子工業会 鎌田明彦))

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