逆襲する焼き肉業 安楽亭 BSE台風一過で復活宣言、懸命の活性化策結実

2002.12.02 263号 4面

安楽亭は昭和38年、埼玉県蕨市で産声をあげた。一〇坪四テーブルの小型生業店を切り盛りしていた創業者は現社長・柳時機氏の母だった。

その後、柳社長が「安い価格で安心して(安)」「くつろげる(楽)」をポリシーに育て上げ、昭和53年に株式会社化して以来、外食産業の拡大と比例するように成長してきた。そして、“焼き肉業界”という意識が証券市場にまだ浸透していなかった平成9年9月に日本証券業協会に店頭登録を果たし、焼き肉業界に安楽亭ありと世間に知らしめたのである。

そして、その出店の特徴はロードサイドを中心とした一定地域集中出店のドミナント戦略とファミリーレストラン「すかいらーく」を手本にファミリー層をターゲットとしたものであった。

一昨年度は東証二部に上場し業績は順調に推移していた。そんな安楽亭を襲った突然の嵐、それがBSE問題であった。別表を参照すると順調な業績を維持していた安楽亭をBSE問題がモロに直撃したことが分かる。

前期は創業以来初の赤字である。ファミリー層をターゲットとして、ファミリーレストランと競合しながらも優位に展開を進めていたが、BSE問題でファミリー層が一気に焼き肉市場から離れていったことがその大きな原因である。

当時既存店では平均四〇%程度減という売上げダウンを経験し、12月には株価も四九八円にまで落ち込んでしまった。しかし、本年平成14年9月期中間決算では黒字回復を果たしている。

売上高が半分になっても、半分の客は来てくれている。安楽亭は業界トップの売上高を誇り、焼き肉業界をリードしてきた。したがって、たとえBSEといえども安易な戦略を展開するわけにはいかなかった。

目先の利益を追い和牛の仕入れをストップするようなことをすれば自社の重要なノウハウを失うばかりでなく、ともに頑張ってきた日本の生産者を裏切ってしまう。毎日のように和牛肉のロス廃棄は出たが我慢を続けた。

その間、物流網とセントラルキッチンが完備しているメリットを生かし、生産加工から生産地まで綿密なチェックを行い、少しでも危険性がある肉は廃棄、そして、ホームページ、新聞、広告、イベント、フェアなどあらゆる手段で安全性をアピールしつづけた。

また、一方で損益分岐点売上高を引き下げるためのさまざまな固定費削減の努力を行い、売上げ活性化のために「創業三九周年大感謝キャンペーン」などのさまざまなキャンペーンの実施、初めてのTVCM放送、社内の声を吸い上げるべくリアルボイス委員会の設置などの企業努力を行っていた。その結果、社内内部の雰囲気の向上とともに、秋には前年売上高に届くほどの復活を演じている。

安楽亭の本社は創業した土地に起因して埼玉県のさいたま市にあるが、北関東を中心に地域密着を果たしてきた企業でもある。FC展開も行っているがそのほとんどはのれん分けFCであり、BSE問題時にはロイヤルティの減免、支払い猶予などの特別支援も行ってきた。

また、本社ビルはショッピングセンターの上であるが、本社フロアの下でグループ会社が日本最大級の書店「書楽」を経営している。もとはといえば、大型スーパーが撤退を決したときに、ニーズとして地元住民の「東京まで出なければ大きな書店に行けない」との声を背に書店経営の新たな展開を図ったことから始まっている。

しかし、中華レストラン、イタリアンレストラン、和食レストラン、カフェ、居酒屋と多少手を広げすぎているのも事実である。今後は「選択と集中」を重視し、本分である「焼き肉事業」を重視する意向である。

ファミリー層だけでなく、高級志向の客にはゆったり炭火焼きを楽しむ「炭火YAKINIKUからくに屋」を所沢市に7月にオープンさせ、ファミリー層だけでなく業界のリーダー企業らしくターゲットを全方位に向けて取り組みを行っていく意向がある。

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