6月23日。今日はオリンピックデー
1894年6月23日、国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決定された。近代オリンピックの提唱者はフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵である。
東京オリンピックをきっかけに発展した洋菓子
1960(昭和35)年頃はバタークリーム仕上げのクリスマスケーキが、まさに飛ぶように売れる時代であった。その頃最先端を走っていたホテルやレストランなどではソースアングレーズ、ディブロマート、メルバ、 アプリコットメルバなどが出されていた。またケーキとしてはパウンドケーキなどもよく売れ ていた時代でもあった。さらに缶詰のフルーツが出始めたのと同じくして栗の甘露煮の缶詰も出たことによって、栗を使った菓子が多くなった。
オリンピック前年の1963(昭和38)年頃になると、全世界から集まる選手や役員、観客のために世界中からキュイジーヌが来日して、さまざまな国の料理 や菓子を紹介し、活気を呈した。キュイジーヌたちの活躍の場は主にホテルであったため、新しい洋菓子などはホテルの料理人やパティシエから一般の菓子店へ広がっていくことになった。そしてオリンピックは料理や菓子だけでなくそれを取り巻く環境を整えるきっかけともなった。それまでにも冷蔵設備は普及してきていたが、このオリンピックを境に冷蔵ショーケースなどの設備が大幅に改善されていった。それがまた洋生菓子の保存性をよくし、個性豊かな洋菓子が増えていく原動力になった。これから昭和40(1965)年代にかけてモンブラン、サバラン、バヴァロア、クレーム・サン・トノレやその他のクリーム菓子などがショーケースを飾り、洋生菓子の最盛期へ入っていく。この頃からホテルやレストランでしか出されていなかったサバヨン・デセールなどのデザート菓子が一般の洋菓子店でも出すところがでてきて、アシェット・デセールといわれる皿盛りの洋菓子が出始め、田中屋、ヒサモトといった洋菓子店が最初に手がけた。またアシェット・デセールのサバヨン・クレームまたはザバイヨーネ(Zabione)をエスワイルが日本で初めて商品化した。このアシェット・デセールが出始めた頃からクリスマスケーキにも生クリーム仕上げのものが出始めた。そしてそれまで主流であったバタークリーム仕上げのクリスマスケーキ に代わって、主役の座についていくきっかけになった。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:協同組合 全日本洋菓子工業会 鎌田明彦 ))