だから素敵! あの人のヘルシートーク:ノンフィクション作家・沢木耕太郎さん

1997.12.10 27号 4面

七○年代のユーラシア大陸横断の記録「深夜特急」は先頃からドラマ化、完結編も新春1月6日テレビ朝日系列で放送される。原作者の沢木耕太郎さんは、放浪を夢見る若者はもとより、旅好きのあらゆる世代の憧憬の存在だ。「天涯 第一 鳥は舞い 光は流れ」は、その沢木さんの初めての写真集。これまで抑制された文字表現で展開されてきた“旅の世界”に光に満ちた彩りがあらわれた。

新境地を切り開いた沢木さんの現在の旅心を食べ物の話をテーマにうかがいながら、写真集出版の意図、見どころを探りたい。

旅の途中での食べ物の思い出ですか。それではこの前5月に行ったモロッコの話をしましょうか。

マラケシュという街には何百軒って屋台が出るのだけど、そこで、べらぼうにおいしい料理に出会いました。羊のちゃんとした肉をとった後の全部、つまり頭や内臓、骨や骨にちょっとついている肉をこそげおとしたものをグツグツ煮込んだもの。内臓はこう紐で結んであって。味は何もつけてない。待っていると、おやじさんが肉や内臓のいろんな部分を取り出して、紙に包んで出してくれる。それをクミンっていう香辛料の混ざった粗塩をかけて食べるんです。よく煮込んであるから、油は完全に抜けていて。フランス語圏だからかな、パンも最高でね。円盤形を四つに切ったのを煮込んだ油汁みたいなのにつけると、パリッパリッのやつがちょっと柔らかくなって。煮込みとパンがワンセットで六○円です。

マラケシュにいる間、毎晩その内臓屋さんに行ってたらおやじさんと顔見知りになって、そのうち特別料理を出してくれるようになりました。羊の骨の、背骨とか足の大腿骨のあたりなのかな、そこをトントントンとたたき割ると白い魚の白子みたいな髄が出てくる。それが柔らかくておいしくて。お金なんて取らないオマケのサービス、まぁ、要するにタイの目玉が好きだとか、そういうレベルなんだけれど、僕が行くと必ずくれる。他のお客が「俺にもくれ」って言ってもそのおやじさん、黙って全然相手にしてなくて(笑)。

そこはもう、地元の人だけでいっぱいの店で、外国人はちょっと寄り付けないような感じなのか、僕しかいない。無口なおやじさんでね、屋台にはわぁーっと人が来ているので、いつも忙しい。それでも「あ、また来たな」と目の端に入れているのは分かる。「よく来たな」でも何でもないけれど、そうやってさりげなくオマケのごちそうを出してくれる。こういうのって幸せですね。

何百軒の屋台の中には色んな店屋さんがあって、広場に行くとまず、スープ屋さんで野菜スープを飲んでました。これは一○円くらい。で、内臓屋さんに行ってメーンと特別料理をいただいて、最後はジュース屋台で絞り立てのオレンジジュースを一杯。これも一○円です。それでその日の夜が終わるんだけれど、毎日毎日、かなり豪華な充実感ありましたよ。全部で八○円のフルコース。帰ってから、日本のフランス料理屋に行って内臓料理を食べたら、おいしかったけれど一皿三五○○円。これ、モロッコならいくら食べられるかと思っちゃって(笑)。

旅先でお腹を壊した記憶? ないですね。少なくとも正露丸飲んだって記憶はない。

無茶食いはしてたけれど。痩せてるんで、その分だけ強いんじゃないかといわれます。それでも「深夜特急」のもととなる旅をした二○何年前は現地の水を飲んでも全然平気だったけれど、さすがにこの前モロッコに行ったときはミネラルウオーターを買って過ごしたことを考えると、若干軟弱になったなぁと。

基本的にはね、例えば登山の高山病の話を聞くと頑強なやつだから罹らないという訳じゃないというのと同じで、旅もね、行ってみて結果的に誰が強いか、誰がダメになるかは終わってみなけりゃ分からないというところ、ある。運みたいなものもあると思うし。だから面白いのかもしれない。

写真集「天涯」は、空の果てという意味です。それまで旅に出る時、バックにカメラを入れていくのはいやだった。重くなって行動が制限されるから。それが一九九○年になった時に、何かこの一○年だけ写真を撮ってみたいなと思って。理由ははっきり分からないんだけれど。いや、カメラは安直なオートフォーカスの一台きりです。だから写真そのものは実に大したものではありません。単純に自分が歩いた道筋みたいなものを撮っただけで、何か決定的な写真、重要な写真というのは一枚もない。

それでもあの写真集をみて、何人かの人が手紙をくれたり話してくれたりしたことが、わりと僕がこれを作りたいなと望んだ狙いと近くて、嬉しかった。「あれをみると自分の旅した所を思い出す」、あるいは「自分が旅した時の感覚が蘇る」という言い方があって。

プロの撮った旅の写真集というと、海外の珍しい所はたくさん写っているんだけれど、それによって何かが喚起されるというよりそこに写っているものをみるだけということの方が多い気がして。そんな大傑作ばかり続けないで欲しいというか。僕の写真集の場合は大したものが何も写ってないんで、逆にね、何か自分が通りすぎた街とか空気とか光とか、こういうような感じを持ったことがあるとか、そういうものをふっとよみがえらせることもあるんじゃないかと。ちょっと似てるな、とかね。

気がつくと光を撮っている気がしますね。もちろん具体的には光の当たっている人とか花とかなんだけれど。一日に五分ぐらいシャッターを押す時、月の光や夕日の光、射し込む光、基本的にはそんな光に反応した写真が多いなと思いました。外国に行くと空気と光が違う。それはフィルムにも写るけれど、自分の目にもその違う感じが「ああ」って分かって、それが心を浮き立たせたり、沈み込ませたり、複雑な気持ちを引き出すことができる。だから、やっぱり光だと思う。

それぞれの、ある旅を、何度も繰り返して繰り返していく感じが、なんか少しずつ積み重なっていく感じ。そんな風にみてもらえたら嬉しいですね。

●沢木耕太郎さんのプロフィル

一九四七年東京生まれ。ノンフィクション作家としてさまざまな世界の人々の姿を深い共感をもって描き続ける。七○年代に辿った旅の記録「深夜特急」は多くの若者にとって青春のバイブルとなった。主な著作に「テロルの決算」(七九年大宅壮一ノンフィクション賞)、「一瞬の夏」(八一年新田次郎文学賞)、「バーボン・ストリート」(八四年講談社エッセー賞)、「檀」ほか「キャパ」などの翻訳書も手掛ける。

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