だから素敵! あの人のヘルシートーク:伝承料理研究家・奥村彪生さん

1999.10.10 49号 4面

伝承料理研究家として、万葉・平安宮廷料理などを再現。世界の民族の伝統料理にも詳しく、日清食品のフーディアムセミナーはじめ、TVや料理講習会でも活躍中の神戸山手女子大学教授、奥村彪生さんにインタビューした。

いま一番興味のある食材は唐辛子。原産地のメキシコ山岳部あたりから、トマトやジャガイモと一緒にコロンブスによってヨーロッパに伝わった。「トンガラシとタバコと梅毒と……」といわれるくらい、ものすごい勢いで世界に普及したんですな。

辛いのと甘いのと、何千もの種類があって、甘いのは主にスペイン・ハンガリー、辛いのは東南アジアからアフリカ熱帯地域を中心に普及しました。日本でも天正年間に入ってきたんですね。秀吉も朝鮮へ行く時に唐辛子を持っていっています。足が冷えるので、兵士たちが足袋の中に唐辛子を入れて歩いたそうです。

いろいろ文献は読んでいるんだけれど、やはり実際に味わってみたい。原産地ではどんな唐辛子を、どう扱っているんだろう? メキシコへ行きたいとずっと憧れているんです。

唐辛子の魅力って何だろう、というと辛さだけではない。香りもあるし甘味もある。まるで人生。人生の辛苦と重なる複雑な味わいに魅せられているんです。

いま若い女性に唐辛子の人気が高まっています。事実、脂肪燃焼や発汗作用から痩身効果も期待できます。私もピリ辛味が好き。子供のころ、唐辛子とタクアンの刻んだのを油で炒めて麦味噌に混ぜて、ピリ辛タクアン味噌を作ってよく食べました。

これまでに大きな病気はしたことがありません。多少、恋の病くらいはあったかな(笑)。糖尿病などもいまのところないですね。仕事上いろいろなものを食べる機会がありますが、嫌いなものは食べません。生クリームにバターべったりとか、味の濃すぎる和食(高級魚の煮付けでも!)は残します。無理して全部食べることはしない。腹八分目というよりは、自分で「ちょうどええなあ」という感じのところで止めます。

ふだんは和食党で豆腐と根菜は欠かしません。酒はビールを一日ビン一本くらい。仕事がつんでくると控えます。大学には週三日プラス料理講習会を各地で年中無休で開催、それに夜中の原稿書きが多いので、飲むとすぐ眠くなってしまうので。

人に教えるということは、応用、新しい発想が生まれるという、クリエイティブな世界を広げることだと思っています。教えたままその通りしなさいというのは、それは単なる伝承でしかない。そこにはクリエイティブなことも個性も何もない。それではお茶やお花の家元と一緒、料理の世界にもいまだにそういうことは多いですがね。

私は大学を中退いたしまして、一膳メシ屋でもやろうかな……と思い、当時TVで売れっ子料理家だった土井勝先生の学校へ通ったんです。週三日のクラスで、男は私一人だけ。約四〇年前の話です。先生方の教え方にいま一つ不満があった私は、授業中よく質問したんです。するとある日、土井先生に呼び出されて「やめてほしい」と。それに対し、「先生方の給料は誰が払ろてると思っているんですか?もっと分かる授業をしてください。人に教えるということは科学です」と申し上げたんです。

「それもそうだ。じゃあ、きょうの話はなかったことにしよう」といわれた。が、また翌々日呼び出され「よろしければ職員になりませんか?」と誘われて。

かといって、いきなり料理など教えられません。二年間、習いにくる生徒さんらの使う包丁とぎと、流し・床の掃除、ゴミ捨てなどばかりやっていたんです。その時に気がついたのが「料理学校っていうのは、なんてまずいもの作ってるんやろ、なんと無駄が多いんやろ」ということでした。私が教壇に立ったあかつきには、おいしく無駄なく捨てるものが一つでも少なくて済むようにしようと痛切に思ったんです。いまもそれが続いている。多分みんな「あいつはケチや」と思ってると思うんです。絶対捨てないんです。ヨメさんもそのまま、三五年間一緒ですから(笑)。

江戸時代や、奈良・平安の料理を再現するのに、日本の料理書にはレシピが載っていなくて苦労する。それで中国の文献から日本の古代料理を再現することが多いんです。やまとの文化はほとんど中国、朝鮮の文化ですからね。そもそも「レシピ」とは医学用語で処方箋の意味。ヨーロッパや中国の場合は、きちんとレシピが書き残されているのに、日本人は隠す。何かと口伝・秘伝でしょ。

私が食べ物の歴史や民俗学を探るキッカケとなったのは、大阪教育大学の篠田統教授との出会いがあったからこそです。師曰く「日本料理を極めるんだったら、中国・朝鮮の古典をやりなさい。そして万葉集・古今集の二、三句もそらんじなさい。原典にあたれ。マゴ引きはよくない」と。休みの日になると、朝10時から夕方5時ごろまで、先生の家を訪れ、時に酒を飲みながら、個人教授みたいにいろんなことを教わりました。先生のもと、漢文を読み、公家さんの日記を読み、江戸の料理書を読み……次にそれをカードに写しとるんです。食べ物の記述のあるところ全部ね。その作業をずうっと続けたんです。だからいまでも、パッと出てくると、どの本のどのページのどんな風に書いてあったか思い出せるんです。ところがいまの学生は、すぐコピーを取る。だからすぐ抜けちゃうんです。ものにするなら書くことが一番だと思います。

まず、よう読めませんよ、みみずのような変体仮名は。でもどうせ日本人が書いたものだ、と読める字だけ何とかつないでいるうちに、うっすら分かるようになってくる。ほんまに読んでて「あ、なんだ。こんにゃくか」と突然分かったりすると嬉しくて。それを現代語訳して、料理として再現するんです。

まあ、実際料理しようとしてみると、また分からないことだらけ。「この料理、どの器に盛ったんやろか、どれくらい盛り付けてええんやろか」とね。その試行錯誤がまた面白いんです。

万葉集に「春の野に すみれ摘みにと来しわれそ 野をなつかしみ一夜寝にける」という赤部赤人の句があります。「“あかべ”というくらいだから赤いべべ着てたんやろか、たぶん太った人で、きっと血圧が高い。だいたい血圧の高い人は顔が赤い。“あかひと”といわれるくらいだから顔がいつも赤らんでいたんだろう。スミレの根っこには血圧を降下させる成分がある。それを野に摘みにいったんだろう。うずくまったところ、そのままひっくり返って寝てしまった。気づいたら一夜明けていた……」

こういうと「先生ウソ教える」といわれる。でも、ウソもマコトもあるかと。私は私、あなたはあなた、解釈は自由でしょ。

どんなに研究しても、作者本人にはなれないんですから、分かりやすくてピピッと自分の感覚にハマルように解釈すればいいんですよ。それが古典を楽しむヒントです。生き方も同じ。私は私の生き方でいい、ただひとさまに迷惑をかけなければ、と思っています。

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