店主の本音 プロが訪ねる気になる店「キハチアンドエス」

1998.10.05 163号 20面

料理人でありながら経営者という道は厳しい。規模の違いはあるが、食の複合企業を目指し企業家として同じレールを走る(株)キハチアンドエスの熊谷喜八氏を、(株)オライアンの岡秀行氏が訪ね、経営者としての胸の内を語ってもらった。

訪ねる人・オライアン岡秀行さん

(おか・ひでゆき)=(株)オライアン代表取締役(東京都渋谷区恵比寿一‐一五‐九、シルク恵比寿二〇二、Tel03・3444・5690)

昭和31年、福岡県生まれ。調理師学校卒業後、フランス料理を修得すべくレストラン・ドマーニ、レストラン・ボンビヴォンなどで修業。この間、イタリア旅行で知り得たイタリアの味と風土にいたく感銘、イタリア料理に転向する。平成元年、(有)ヒデ・コーポレーションを設立、「イル・ボッカローネ」「ラ・ビスボッチャ」をオープン、伝統的イタリア料理を普及・啓蒙させる。7年には(株)オライアンに社名変更後、ブラッスリー「オーバカナル」など積極的な店舗展開を図り、総合フードビジネスカンパニーの総帥として活躍する。

迎える人・キハチアンドエス熊谷喜八さん

(くまがい・きはち)=(株)キハチアンドエス代表取締役(東京都中央区銀座一‐三‐三、銀座西ビル三階、Tel03・3535・0344)

昭和21年、東京生まれ。37年銀座東急ホテルを皮切りにフランスのセネガル・モロッコ日本大使館料理長、パリのマキシム、ジョエル・ロビュション率いるホテル・コンコルドラファイエットなどでフランス料理一筋。帰国後、「ラ・マーレ・ド・チャヤ」の総料理長を務め、62年(株)サザビーとの共同出資で(株)キハチアンドエスを設立。「レストランKIHACHI南青山店」「SERAN」をはじめ、念願の銀座に「KIHACHI銀座店」「KIHACHI CHINA」などを開業、食の複合企業のトップを目指し着実に拠点作りを進めている。

岡 一八年前、初めて熊さんに出会って以来、店をどうやっていいのかなどなぜか経営的なことばかり聞いてきました。一般のレストランより半歩先、一歩先を行く先見性のある、ほかの人にはないものを持つ人と一目おいていました。

熊谷 元気の良いレストランは絶対に潰してはいけない。親心でしょうか、気になるんです。聞かれるとこうしたらいいねと言ったりする。意外に自分の会社よりよそのはよくみえるものです。名プレーヤーが名監督ではないのと同じ。名料理人イコール名経営者ではないですね(笑)。

私も会社を持っているのでガンバレという精神論では駄目とわかります。いつまでに、どれだけ売上げを上げ、どれだけ利益を出せばよいか、それには自分たちがどうすれば良いかと。

岡 料理人は根性論で引っ張っていこうとするところがありますが。

熊谷 なぜ私が会社を作ったかといえば、飲食業界を見た時、まじめなコックさんが詐欺師みたいな人に踊らされボロボロになって終わっている現実を見ているからです。また料理人で会社をうまく経営する人もいない。やればできるぞというところをみせたかったのです。

経営の原理・原則はそんなに難しいものではない。繁盛店になるための三原則は不変。安くてうまくて雰囲気が良いです。じゃー安いということはどういうこと、うまいとはどういうことをわかりやすくかみ砕けばいいのです。

岡 おいしくて無駄のない方法とは具体的には。

熊谷 一つの例に、ステーキには付き合わせとしてジャガ芋のフライ、青味などのほか、ジャガ芋がむいてある。あのむく仕事は昨日今日入ったコックではできない。たいへんな技術がいります。皮をむくとカスが出ます。村上さんや有名なシェフはポタージュにしますが、毎日ジャガ芋のポタージュは売れません。捨てるんです。またむいたものは水に浸けます、味が抜けます。人件費の高い人がむいて、ロスを出してまずくする。こういうことをしているんです。

ところがうちではパートのおばさんが夜帰る時、シュッシュッと皮をむき、朝一時間前に蒸し器に入れ、切って出す。これだと人件費が安いので水を浸けたジャガ芋の一〇倍から下手をして五〇倍は儲けることができる。見てくれは今一つですが。

今は本物から本質の時代に入っています。フランス料理は見栄えを気にしてきました。たまたま本物がその方向だったためでしょうが、今はフランスをはじめ世界中のレストランが本質にきています。

彩りとか形ではなく、うまさがにじみ出ている香り、色、味などが求められ、なおかつ体に良いものになってきています。

熊谷 コックさんが店を始めていますが、その人の気の大きさくらいでしか店は大きくならない。これは一度挫折するとよくわかります。

岡 熊さんも崖から落ちたことがあるんですか(笑)。

熊谷 ラ・マーレの時代、精神的に落ち込んでいた時期がありました。

当時、頭でっかちで料理といえば人のことなんか眼中になかった。地獄のラ・マーレといわれたくらい部下を朝から晩まで叱りとばしていました。ある時、フッと後ろを振り向いたら部下ははるか遠くにいたのです。頭でっかちで、地に足が着かないで前に行っていた。

三八歳の時、地獄の特訓を受けたんですが、この時目が覚めましたね。

岡 あの例の地獄の特訓ですね(笑)。

熊谷 恥ずかしくて言えないが(笑)。一つに駅のホームからホームに大声で声を掛け合ったり、改札口で一人ひとりに朝はお早うございます、夕方にはお帰りなさいと叫ぶ。しゅう恥心を取り去るためです。

また、人生で一番苦しかったことを話すところで、格好をつけて話し、うそがばれるとひっぱたかれ、次の人から真実を話すようになる。聞くうちにみんなが感極まり涙を流すほどになり、一体感を持ったところで翌日のカリキュラムに進むんです。

人間が人間らしくなること、人間は成長するにしたがいよろいを着けるようになる。こんなよろいを持った人に相手は飛び込んではきません、向こうも構えてきます。このよろいにひびを入れるのが特訓の目的なんです。

岡 今、自分の力量がよくわからず、少しばかり止まっているんですが。

熊谷 それには外部のアウトソーイングが必要。人間、一人の力では限界があります。自分もそうでした。ある時スーパーマンをやめ、人に任せたら大きく前進しました。

岡 私が今、そこにさしかかっているんでしょうね。今は会社の隅々まで見られ、手が届き、とても居心地が良い。自分から遠ざかっていくのを恐れているのが逆に成長に結びつかないのでしょうか。

熊谷 ここでやめるのか、もっと先に行くのかの分かれ目なんでしょうね。私の場合は、色気のある話がどんどん舞い込んでくる(笑)。

岡 婿一人に嫁一〇〇人ですね(笑)。

熊谷 規模が大きくなったうちでは、私は裸の王さまになり始めています。大事な問題を私に分からないようにうまく処理しようとする。その中に結構大事な問題が入っていたりするんです。

昔は何かあるとすぐに相談にとんできたんですが‐‐。苦労しないでうまくいっているから、心遣い、気遣いができなくなってきている。

岡 それはうちも同じ。とりあえずやっている店が成功しているため、一つの店がはやると次の店はネームバリューで伸びていく。本人たちは初めから忙しい、この忙しさは自分たちで作っているんだと錯覚している。

熊谷 今の外食産業は団塊世代のお父さんより、この子供たちとお母さんたちなくしては成り立ちません。サラリーマンのおじさんを相手では商売はできない(笑)。おじさんは居酒屋に行き、安い焼酎でも飲めばいい(笑)。ここを狙ったのでは怖くてこんなに大きくはできませんよ。

岡 熊さんと話していると、ほかの店がどうこうという話が出ない。自分の店でどう高めていくかでもっていくのがすばらしい。みんな他店のメニューがこうだからとかになるが。

熊谷 戦略なくして勝てません。敵を知らなきゃ勝てない、ちゃんとどこが元気か見ていますよ(笑)。ただ有象無象のレストランと競争してもはじまらない。一番手になるためにどうするかで頭がいっぱいなんです(笑)。将来は一〇〇〇席の店を銀座に出すのが夢。これができるのは私といつも思っています。

岡 反骨精神と革新で世の中に逆らってきた人。そうしたところが好きでファンクラブを作っているんですが、夢が実現することを期待しております。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら