榊真一郎のトレンドピックアップ、胸躍らせた新幹線の駅弁
まだまだ滅多にない出張が楽しくて仕方なく、ワクワク早起きして電車を乗り継ぎ、東京駅まで出かけていた時代の話です。今から一〇年ほど前、私も二〇代の後半。当然グリーン車なんか夢のまた夢、の時代です。
当時の私のことをご存じない皆さんにまで、恥をさらすのもなんですが、そのころの私は立派なデブをやっていました。外食のコンサルタントたる者、よく食べるのも仕事のうち、と職業でデブをやっていた(何故私が、そしてどのようにして今の体型になったのか、その変容の遍歴に関しては別の日にお話しようと思っていますが……)。
本当にその当時は、よく食べていた。一〇歩行くと何かおいしいものはないかしらと周りを見回し、取りあえず何か口の中に入れないと気がすまないぐらいよく食べていたものです。
値段に構わず思わず手が…
出張のその朝も、朝食を食べて家を出たはずなのに、東京駅の新幹線のホームに立つとその瞬間、もうお腹がすいてしまって駅弁に手を出します。駅弁といってバカにできないごちそうが当時の東京駅にはあった。それが新幹線出張の楽しみの種、といってもいいほどの駅弁でした。
帝国ホテルのローストビーフ弁当(コーンポタージュ付き)。ごめんなさい、いくらだったかは忘れちゃいました。正確なことは覚えてないのだけれど一〇〇〇円札一枚では確か買えなかったと思う。コーンポタージュを付けてもらうと、多分一五〇〇円ぐらいしたんじゃないかな、と記憶しています。
当時じゃ結構高い弁当で、しかもこの売店がホームの端にしかなかったので、重い体を引きずるようにテクテク歩くことになるのですが、なのに三度に一度は売切れになる、というほど人気があった。
長方形の弁当箱のフタを取るでしょう、するともう弁当箱一面のローストビーフが目に飛び込んでくる。それ以外はローストしたジャガ芋とキャロットグラッセだけ、という色気のあるものでは決してなかったですが、必要最小限以上のおいしさがあった。
ローストビーフをめくればユカリを混ぜ込んだ白ご飯がギッシリで、お肉一口パクリでご飯をゴクリ、と食べ進めば進むほど、止まらなくなるおいしさだった。
悲しいかな、ローストビーフ弁当の記述すべてが過去形で分かるように、もうこの弁当を食べることはできない。帝国ホテルの列車食堂完全撤退を機に、売店そのものがなくなってしまったからなのですが、悲しい限りです。
で、その当時、下りの新幹線のお供はこのローストビーフでしたが、それじゃ上りの時はどうなのかといえば、これは文句なく新大阪の水了軒(スイリョウケン)の御堂筋弁当(缶ビール付き)で決まりだった。
おっと、ここも過去形にしましたが、それじゃこの弁当も今は買えないかというと、有り難いことにこれは今も健在。一個一〇〇〇円で、でも新大阪でしか買えない(しかも7時ぐらいには売り切れになってしまう)。これまた名物的な駅弁となっています。
何でこの弁当が缶ビール付きなのかといえば、二段重ねのこの駅弁にはいただき方があります。井げたに区切られた一の重に詰まった九つのおかずをさかな代わりに、ビールをいただく。米原を過ぎるころ、おもむろに二の重の豆ご飯とたこ焼き(大阪らしいでしょう)をつまんで、ちょうど腹くちくなったところで、一挙に睡眠に突入というお作法があるから(かどうかは分かりませんが、少なくとも私の出張はそうやって締めくくられることがほとんどでした)。
好きも嫌いも食べ方ひとつ
ぜひ、新大阪駅から新幹線に乗られる方は、試してみて下さい。日本人が大好きな「弁当」という食文化そのものを考え直してみたくなるほど完成度が高く、しかも、和食という食文化は「食べ方を食べ手に委ねる」心優しきものなのだ、ということを教えてくれます。
そう思うと帝国ホテルのローストビーフは「有無を言わせぬ食べ方」を提案する洋食という文化が駅弁の形を借りた、でもそれはそれで素晴らしい志の料理だったのに、と悔しさ半分で今日のノスタルジーの締めくくり。“下りの帝国、上って御堂筋”とは、こんな思い出を封印するじゅ文だったのです。
((株)OGMコンサルティング常務取締役)