店主の本音・プロが訪ねる気になる店
全国規模の料理人の会としてフランス料理は、(社)全日本司厨士協会、中国料理では、(社)日本中国料理調理士会などはよく知られるところ。これら大規模組織を離れ、地域に密着した独自の活動を続ける料理人の会もある。そのひとつフランス料理「クラブ・ミストラル」、中国料理「菜譜会」の両会長に会の発足経緯、活動内容、運営などについて語ってもらった。
田畑 中国料理とフランス料理の違いはあるが、それぞれ料理人の会の会長ということで、柳舘さんにお聞きしたいのですが、どんな会でしょうか。
柳舘 フランス料理では大きいところで司厨士協会、また街場のレストランのパイオニア的存在である井上シェフ、石鍋シェフ、鎌田シェフらが結成した「クラブ・デ・トラント」などはよく知られている。
われわれの世代は、フランスから帰り、それぞれ一匹狼で頑張っているが、個の力では限界がある。そこで同じ昭和30年代で団結すればと「クラブ・ミストラル」を結成した。
一九九五年3月、会員数約四〇人でスタート、大きな変化はない。実際の活動は、偶数月に一般の人、若い料理人を集めて料理教室を開講したり、情報誌の発行やボランティアとして、定期的に豊島区の特別養護施設へ料理を提供している。
年一回、メンバーが集まりイベントを開催するが、五周年に当たる今年は、5月15日にドリームレストランを計画している。具体的には、一日、レストランミストラルを開店。メニューは、アラカルトでそれぞれの料理人が作りたいものを出す。
田畑 うちは、一九九四年、中国料理人の親睦と情報交換、若手の技術向上・育成を目的に結成。現在、東京と神奈川で会員数は約一〇〇人。
企画があっても日時など合わせるのが難しい。若手は一番最後まで仕事をしなくてはいけない。講習会をやっても、夜中からのスタートだ。彼らには、つらいだろうが将来のためにと言い聞かせている。
柳舘 うちも夜中から始めている。終わるのは朝の6時~7時。先輩の「クラブ・デ・トラント」のメンバーは、ある程度の余裕がある(笑)。われわれは、九割近くが現場でギリギリに働いている。肉体的にはきついが、何かをやろうという意識は強い。
ただ、五年もたつとマンネリ化し、そのためにもイベントが必要になる。昨年は、伊勢丹でブースをもらい、フランス料理フェアを一週間開催した。
田畑 会は長く続けることが大事。大きいものを一回ではなく、細かいものを数多く入れないとつらい。
柳舘 全員が店をやりながら活動をしているので、具体的に動けない人は辞めてもらっている。
田畑 それは厳しいですね(笑)。会を結成したとき、上の年代からはどうせ飲む会だろうといわれた。コックの仲間はその程度と思われている。
また、オーナーはどうしても商売に結びつけようとする。ボランティアか商売に直結させるか悩めるところ。
柳舘 「料理の鉄人」が話題となっているが、こうした流れにうまくのっていける人と実力がないのに押し上げられていく人と二つのタイプがある。しかし本物はどんなかたちでも残っていける。ただ本当のスターを出していくには自分一人の力ではダメで、マスメディアの力を借りなくてはいけない。
田畑 顔も名も知られている人が、数多くの人に食べてもらうことはよいこと。
うちの会でも挑戦者五人を集めてフェアを開催したら大盛況だった。どこに福を呼ぶ風が吹くのか、年に何回かやればといっている(笑)。
柳舘 「料理の鉄人」の反響は大きい。クラブ・ミストラルで五人出たが、会としての認知度を高めた。
田畑 お客も有名人の店で食べたいというのが本音だろう。
柳舘 中国料理は子供のころからおいしい料理と思っているが、中華を目指す料理人は増えているのでは。
田畑 私が講師で行くヨコスカ調理師学校では、二〇年前は五〇人のクラスで五人が中華。イメージは、中国料理イコールラーメン屋だった。
当時は日本人できちんと修業して中国料理を出す人はいなかった。いまだにそれをひきずっており、だれでも知っているものしかメニューに書けない。たまに新しいものを入れると、知っているのは若い人だけ。
先日もラーメン屋さんといわれ困ってしまった。若いころはムッとしたが、今は逆に通りがよいのでラーメン屋ですと笑っている(笑)。
柳舘 フレンチはホテルから入っているので、結婚式場などでしか食べたことがないという人が多い。堅苦しく嫌な思いで食べるなら、気楽に食べられる中華や和食に行こうとなる。今やっと本当においしいフレンチを食べに行こうと来てもらえるようになった。今までは料亭料理だった(笑)。
うちの実家は日本そば屋。カツ丼もある。ちゃんとしたところにはこれはない。同じようにフレンチでもいろいろなカテゴリーの店がある。今やっと地方料理だったり家庭料理を食べさせる店が出てきた。
田畑 価格の問題はどうだろうか。中国料理の場合、プアフーズのイメージがあり(笑)、日常的なものはチャイニーズ、フレンチはおしゃれしてデートコースとなる。
中国料理の場合、どんなにやっても高くとれない。例えば酢豚でも、良い肉を使って高くとればいいじゃないかと思うが、価格設定は昔からたたき込まれたものがある。
ホテル、飯店クラス、街場と価格の序列は決まっている。その点、フレンチはしっかりした人が作ればそれだけの価格が引き出せる。
柳舘 うちは客単価が高いというが、料理人としてお客に少しでもおいしく出そうとすると原価率はかなり高いものになる。
原価率が高く、利幅が少なくても席数はそこそこ三〇席。いつも満席にし、お客に喜んでもらい、これを宣伝にしていきたい。
田畑 三〇~四〇席で、お客にすべてが伝わる店がいい。経営者ではなく、料理人としては、料理に心が伝わる範囲が理想。
柳舘 もう一軒店を出すとすれば、コンセプトだけで出せばよい。そのためにも二番手のことを考えなくてはいけない。育てなくてはいけない。
田畑 うちは短期間できっちり教えれば、引き継いでいけるのではないかと思う。
柳舘 フランスではシェフが行きたい店に紹介してくれる。もちろん、その人の実力を認めてのことだが。こうした底辺の広さをみると、日本もこうなったらと思う。もっと交流があれば人手不足とか、自分の腕も磨ける。フランスでは三ツ星は順番待ち。われわれもそれくらい夢のある商売にしていきたい。
(たばた・いつお)=中国料理「鹿鳴春」オーナーシェフ(神奈川県藤沢市藤沢九七〇、0466・26・3030)
静岡県伊東市生まれ。ヨーロッパへのあこがれから料理人を志し、横浜調理師学校へ入学。この間のアルバイトで出合った中国料理の素晴らしさに、いつか中国料理を目指すことに。
卒業後、「銀座月ヶ瀬」(コックドール)に入社。以後「富士観光会館」で大城宏喜氏に師事し、「港大飯店」「東華林」などを経て昭和56年、三三歳で独立、現在に至る。
中国料理調理師の会「菜譜会」会長、ヨコスカ調理師専門学校講師などを務めるかたわら、地元では、自慢ののどを生かしたイベントも仕掛ける。多芸な料理人。














