9月29日。今日は洋菓子の日
9月29日は三重県洋菓子協会が制定した洋菓子の日。菓子職人の守護聖人サン・ミシェルの祝日に由来する。
東京オリンピックを機に爆発的な普及をした洋菓子
戦後、急激に発展した洋菓子であるが、1964(昭和39)年の東京オリンピックを境に分けることができる。オリンピック以前で特筆できることは、それまでのびん詰のヘビー生クリーム に加えて、1959(昭和34)、60年頃乳脂肪分が45%の生クリームができたことである。またその頃はリンゴの缶詰などもなかった時代で、各店が独自にボイルして使っていたが、昭和30(1955)年代半ばからフルーツの缶詰が潤沢に出回るようになった。スポンジに生クリームと缶詰のフルーツをサンドしたり飾ったりするケーキが出始めたのもこの頃である。
まだバターはといえば、有塩が多く、ちぎって水に浸けておき、塩抜きしてから使わなければならなかった。その後は無塩のバターがでて毎日の作業は楽 になったが、アメリカからショートニングが、フランスからマーガリンが輸入され、バターと混ぜて使う店も増え、洋菓子の普及に拍車をかけることになっ た。
この1960(昭和35)年頃はバタークリーム仕上げのクリスマスケーキが、まさに飛ぶように売れる時代であった。その頃最先端を走っていたホテルやレス トランなどではソースアングレーズ、ディプロマート、メルバ、アプリコットメルバなどが出されていた。またケーキとしてはパウンドケーキなどもよく売れていた時代でもあった。さらに缶詰のフルーツが出始めたのと同じくして栗の甘露煮の缶詰も出たことによって、栗を使った菓子が多くなった。
オリンピック前年の1963(昭和38)年頃になると、全世界から集まる選手や役員、観客のために世界中からキュイジーヌが来日して、さまざまな国の料理 や菓子を紹介し、活気を呈した。 キュイジーヌたちの活躍の場は主にホテルであったため、新しい洋菓子などはホテルの料理人やパティシエから一般の菓子店へ広がっていくことになった。 そしてオリンピックは料理や菓子だけでなくそれを取り巻く環境を整えるきっかけともなった。それまでにも冷蔵設備は普及してきていたが、このオリンピックを境に冷蔵ショーケースなどの設備が大幅に改善されていった。それがまた洋生菓子の保存性をよくし、個性豊かな洋菓子が増えていく原動力になった。 これから昭和40(1965)年代にかけてモンブラン、サバラン、 バヴァロア、クレーム・サン・トノレやその他のクリーム菓子などがショーケースを飾り、洋生菓子の最盛期へ入っていく。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:協同組合 全日本洋菓子工業会 鎌田明彦 ))