4月3日。今日は輸入洋酒の日
4月3日は日本洋酒輸入協会が制定した輸入洋酒の日。同協会が発足した日に由来する。
最も有名な洋酒、ウイスキー
ウイスキーはわが国ではもっとも有名な洋酒であり、蒸溜酒のうちでは、世界でもっとも飲まれているものの一つである。ウイスキーの起源ははっきりしないが、12世紀の文献にウイスキーの語源と考えられる古ケルト語Uisqe Beathaウシュク・ベーハ(生命の水)が記載されていることなどから、ヨーロッパ大陸で生まれた蒸留酒「アクア・ヴィテ(生命の水)」の製造技術が、アイルランドに伝播し、 その後、大麦の産地であり良質な水が得られるスコットランドに伝わり、地酒として製造されていたと考えられる。スコットランドでは1650年頃から度重なる増税が行われた結果、ハイランドの蒸溜業者は税吏の目を逃れるために山中で密造した。麦芽の乾燥にハイランドで多く採れる泥炭(ビート)を用い、蒸溜物はシェリー酒の空き樽に詰めて隠した。皮肉なことに、これらの工程が今日のスコッチウイスキー特有の香味を生み出した。
1824年に酒税法が改正されたことで、次第に密造は姿を消していった。当時のモルトウイスキーは単式蒸溜器(ポットスチル)で蒸溜され、「マンドリンク」といわれたほど粗野で個性的なフレーバーだった。しかし、1831年にイーニアス・コフィが 二塔式連続蒸溜機(パテントスチル)を製造し、発酵液を連続して精溜して得られる、グレーンウイスキーが登場すると、両者を混合したブレンデッドウイスキーが、その飲みやすさから一般に好まれ、たちまち全イギリスに広まった。グレーンウイスキーはスコットランドの中で も、グラスゴーやエジンバラなどの主要都市を擁するローランド地方で、資本力と大消費地を背景に近代的工業設備により安価に製造された。折しも、フランスではフィロキセラ害虫によりブドウの収穫が激減し、ワインやブランデーが高騰した。この機にスコッチウイスキーはフランスやイギリスでシェアを広めた。しかし、1898年に大手のブレンドメーカーのPattisonが倒産したことで、蒸溜所の倒産が波及し、大手企業による寡占化が進み、それら大手企業も1925年〜27年にかけてD.C.L. (Distillers Company Limited)社に合併・吸収された(D.C.L.はその後Diageo社に吸収されている)。
一方、ウイスキーの純粋性を守り、グレーンウイスキーをウイスキーとは認めない動きも強く、1908年Royal Commission は 「ウイスキーとは麦芽により糖化された穀類もろみを蒸溜したスピリッツをいう。スコットランドの製品をスコッチウイスキー、 アイルランドの製品をアイリッシュウイスキーという」とウイスキーの定義づけを行い、この争いにケリをつけた。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:東京農業大学 徳岡昌文))