12月28日。今日は身体検査の日
1888年12月28日、文部省が毎年4月に生徒の身体検査を実施するようすべての学校に訓令した。明治政府は日本人を欧米人のような体格・体力にすることを目指していた。
高い栄養価で明治初期に注目された牛乳
明治時代(1888~1902年)に入るまで、牛乳は貴族の飲み物であった。一般の人が牛乳を飲めるようになったのは江戸時代末期の1863年に、前田留吉という人が外人居留地で牛乳の搾取販売をしていたオランダ人スネルに雇われ乳牛の飼育管理を学び、横浜で搾乳業を開いてからである。
東京では、将軍御用の乳製品をつくっていた吉野郡造が1869(明治2)年頃から牛乳の販売を始めている。70年には旧旗本の阪川当晴が築地にできた牛馬会社から牛乳を払い下げてもらい、販売を始めている。阪川は後に自ら牧場を経営、搾乳業を行い、当時の乳業界の第一人者であった。明治初期の文明開化の時代、 松本順、福沢諭吉、仮名垣魯文などの当時の進歩的な医者や学者らが牛乳の栄養価値をひろめ、利用をすすめた。1871年の『新聞雑誌』には次のような記事が掲載されている。「外国人ノ説ニ日本人ハ性質総テ智巧ナレトモ 根気甚タ乏シ。コレ肉食セザルニ因レリ。然レトモ老成ノ者今ニハカニ肉食シタレバトテ急ニソノ験アルニモアラズ小児ノ内ヨリ牛乳等ヲモッテ養ヒ立テナ ハ自然根気ヲ増シ身体モ随テ強健ナルベシト」。
1875年頃には、搾乳業者が増え、東京牛乳搾り取り組合ができ、組合員は20名にも達した。これは士族授産政策とともに山県有朋ら政府の高官・旧藩主などが率先して出資者あるいは直接事業主となり、搾乳業に参加したのが大きな影響を与えたのである
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:林 弘通 ))