3 月2日。今日はレトルトカレーの日
3月2日は一般社団法人ご当地レトルトカレー協会が制定したご当地レトルトカレーの日。1月22日がカレーの日、2月12日がレトルトカレーであることから、その並びに続く形で制定された。
移動と変化を続ける食べ物、カレー
カレー粉が初めて商品化されたのは、イギリスにおいてであった。地理上の発見以来 インドは綿花、香辛料、小麦などの原料国であり、ポルトガル、スペインにつづいてオランダとともに植民地を求めて東洋への進出を計っていたイギリスにとって絶好の獲物であった。
このインドにおいてイギリスが1600年に東インド会社を設立し、その後種々の植民地政策を展開してきたことは歴史にみる通りである。
インドとの往来がはげしくなり東インド会社員、軍人、旅行者など多くの人々がインドの食生活を経験し、またいわゆるカレー料理も経験し、これをイギ リスに持ち帰ったとしても何の不思議もない。一般には後に東インド会社の総督をつとめたヘイスティングが1772年頃にカレーを本国に紹介したといわれている。そのカレーは英王室をはじめとし、間もなくイギリスの上流社会にも伝わり、やがて一般家庭にまで浸透していった。
このような事情を背景として イギリス人がその将来性、市場性を見込んで世界で初めてカレー粉を商品化し、それから世界各国へ広まっていったのである。
『東京流行細見記』によれば日本には1877(明治10)年頃、京都、大阪にも西洋料理屋が2軒できていてそのメニューに「そっぶ(スープ)、おむれつ、しちゅう、かつれつ、びすてき、らいすかれい、さらざ其外お好みしだい。」と記されているところをみると、カレーは1872(明治5)年頃には日本に入ってきていたのではないかと推定される。
その後鹿鳴館時代に一定程度広まり、かなりの人々に知れわたっていたと思われる。この時代は歴史が示す通り、あらゆる西欧文明をとり入れようとして、 和服を洋服に、日本間を洋間に変えること、はなはだしくは西欧人との結婚を奨励した時代である。当時のことながらその食生活においても、和食を洋食に という動きが著しく強かったのである。このような時流を背景に、カレー粉が急速に浸透していったのは想像に難くない。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:エスビー食品株式会社))