5月4日。今日はラムネの日
1872年5月4日に東京の実業家・千葉勝五郎がラムネの製造販売の許可を取得したことに由来する。
日本でラムネを製造しはじめたのは別の人物
1865(慶応元)年長崎の商人藤瀬半兵衛氏がラムネの製造を学び、レモン水と名づけて販売したが、この名前は使われずラムネといった。ラムネという名称はレモネードが「ラムネ」となったといわれる。1874 (明治17)年に、大阪で初めてラムネの製造をしたのは洋酒の製造に従事していた橋本清三郎氏であったといわれる。玉びん、いわゆる玉ラムネが流行しだしたのは1888年頃からで、1890年東京本所の洋水社により日本人によるラムネの商業化がされ、各地で製造が行われるようになった。
1863(文久3)年に、わが国での清涼飲料の製造元祖ともよばれる英国人ノースレー氏は横浜で「ノース・アンド・レー商会」を開業し、1868(明治元)年横浜居留地でレモネード、ジンジャーエール、ミネラルトニック、シャンペン、サイダーなどを製造した。また1884年摂津の国平野郷で三菱鉱泉平野水のびん詰を始めている。その後三ツ矢サイダーが1905(明治38)年、リボンシトロンが1909年、キリンレモンは1928年に登場、透明炭酸は清涼飲料の一大カテゴリーとして台頭していく。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(一般財団法人 日本清涼飲料検査協会、久保喜寛))