飲食店で迷惑行為をしてしまうアピール心理とは 2次被害を防ぐために対策を

客の迷惑行為に飲食店は長年頭を悩ませている。迷惑行為をやめなかった客に対して店への入店を断わる、いわゆる「出入り禁止」を宣言する店も少なくない。店は本来、一人でも多く来店客数を増やしたいものであり、客としても居心地の良い店には長く通っていたいはずだ。需要と供給が合致していればトラブルに発展するようなことにはならないはずだが、なぜ頻繁に迷惑行為は起きてしまうのだろうか。

客側と店側、双方にある迷惑行為

迷惑行為と一口にいってもさまざまある。Z世代やそれ以下の若者の事例も少なくない。最近全国展開の店舗が学生に出入り禁止を促した例では、店舗商品ではない食べものを店舗に持ち運んで食べたり、椅子の上に足をのせてねそべったり、大声で叫んだり笑う、注意を促した店舗スタッフに暴言をはくなどの行為があったともいわれている。

くら寿司では、回転レーンでの迷惑行為を防ぐため「新AIカメラシステム」を全店に導入した

回転寿司店舗に置いてある卓上の調味料をなめたりする迷惑行為が当事者側により明るみになり、店舗側が客を訴えたことも記憶に新しい。さらに迷惑行為が公になることで、模倣する人も後を絶たない。ほかにも、店舗内で販売している商品をいたずらしたり、汚したり、わざと地面に商品を落として弁償を要求するなど悪質な迷惑行為も少なくないと聞く。

最近の事例としては、使ったオムツを置いたまま帰る客や店内を走り回る客に対する「お願い事項」を出した店舗もあった。子どもに対する考え方や子どもの行動に関することは以前から課題として挙がることもあったが、行為に対する周囲の大人の対応の変化や、注意する大人が減少しているという印象はぬぐえない。

客側だけではなく店のスタッフ側にも迷惑行為といわれるものはある。アルバイト店員が冷蔵庫に頭を突っ込んだり、地面に落ちた食べものをそのままお皿にのせて客に提供したことが発覚したことは度々ニュースになる。

迷惑行為とネット拡散との関係

また、このような迷惑行為や悪ふざけは以前からあったと思われるが、ネット社会の特徴は、行為を行う側が自ら世間にアピールする点だ。昭和の時代は自ら迷惑行為を自慢するようなことはなかった。そもそも当時はネットが普及していなかったし、迷惑行為を世の中にアピールすることが少なくとも恥ずかしいと思っていたはずだ。

さらにインターネットが身近にない時代には、例え迷惑行為などがあっても実際にその店舗にいた人にしか知り得ない情報であることがほとんどで、口コミといっても拡散力には限りがある。もしくは店舗内にいた人にすらわからないように店側が「そっと」解決の方法を探っていた場合もあるだろう。そのため出入り禁止という厳しい処置に至らなければならないケースも少なかったのではないだろうか。

迷惑行為の動画や画像をインターネット上にあげることで、その記録が残るばかりでなく、あっという間に世界に配信される現在では、本来は個々で解決できる案件が個人間の問題ではなくなり、迷惑をかけた側もかけられた側も傷つく度合がいっそう強く、2次被害も出るなど長引くことがある。

日本における「世間」との関係性

日本は「世間体」という言葉がある。これは日本独特な言葉だ。「世間」というものを感じながら、「世間に顔向けできないことはしない」だとか、また、「お天道様が見ている」という言葉もあり、誰が見ていなくても他人に迷惑をかけないようにしよう、といった教えが根付いてもいた。人に隠れて人知れずに行っていた「いたずら」が、ネット社会になると「アピールしたくなる行為」に変化しているのだ。

これは「世間」の反応が、「映え」や「炎上」や「バズる」など単語で表現されるように変わり、物事の“価値評価”が変化したのだと筆者は思っている。迷惑行為の先の「世間」がどう反応するのか、ネガティブな印象を持たずに無防備に本人は行為をとらえているようだ。

かつては公共の場所で気遣いのないことをする人がいれば、周囲の人が注意をし、近所にも「うるさいおばさん」「恐いおじさん」がいた。 しがらみもあったかもしれないが、逆に周囲に守られていたともいえるだろう。現代よりも若者たちの安心できる場所があったのではないだろうか。今は、そういった居場所を飲食店の店舗にゆだねるようになってきたこともあるのかもしれない。なぜそういう行為に至ってしまうのか、そうならないように「世間」がどうしたら良いのか考えないといけない時なのだろう。(食の総合コンサルタント 小倉朋子)

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