5月17日。今日はお茶漬けの日
5月17日は株式会社永谷園が制定したお茶漬けの日。宇治製煎茶の製法を発案し、煎茶を普及させた永谷宗七郎氏の命日(1778年5月17日)にちなむ。
東京では労働者の食事、関西では女性の簡易食として浸透したお茶漬け
お茶漬けは、平安時代から夏季の水飯や、湯漬けとして貴族社会で親しまれてきた。ご飯にお茶をかける、現在のお茶漬けの原点は、お茶の木が全国で植えられ始め、茶道が発達した室町時代後期とみられる。当時のお茶は茶褐色であり、現代のきれいな緑色の煎茶を開発・普及したのが、永谷園の先祖である 永谷宗円。江戸時代中期には庶民にもお茶漬けが広まり、東京では、多数の火事からの復旧活動に当たる労働者の食事として、関西では女性向けの簡易食として浸透したとされる。冷や飯に熱い番茶をかけて、漬物や佃煮を添えて食べるのが一般的だったが、明治以降は料亭でも、お酒を飲んだ後の食事として、お茶漬けが提供されるようになった。
お茶漬けの代名詞であり、市場のパイオニア商品、トップブランドである永谷園の「お茶づけ海苔」が生まれたのは1952年。戦後生まれの商品だが、ルーツは41年発売の「海苔茶」までさかのぼる。「海苔茶」は、永谷園創業者の永谷嘉男氏の父親である永谷武蔵氏が開発した、海苔缶と調味粉缶のセット。自らが経営する茶舗の海苔とお茶を、 使いやすいよう加工して組み合わせた、お湯をかけるだけでできる、お茶に代わる新しい飲み物だった。
「お茶づけ海苔」は、「海苔茶」 で別々に封入していた海苔と調味粉を一つの袋に詰め、開封するだけでお茶漬けができる現在の設計を実現。永谷家の故郷である京都府の宇治で食べられるかきもち茶漬けにヒントを得て、 新たにあられを加えた。当時は防湿性の高い包装資材がなかったが、あられは食感のアクセントになるだけでなく、海苔や抹茶の大敵となる湿気を吸収。香ばしい風味で海苔の味と香りを引き立て、品質保持にも寄与した。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:吉岡勇樹))