「ソロ飯」増加の背景は…コロナ禍がもたらした集わない自由
一人の活動を楽しむ「ソロ」というワードは定着した感がある。ソロキャンプが人気になり、テレビ東京系列ドラマ「ソロ活女子のススメ」も話題となった。ひとりで食事をする「ソロ飯」もコロナ禍以降はいっそう市民権を得た。一人専用グルメアプリもあり、YouTube、SNSのハッシュタグワードとして定着している。しかし背景は「コロナ禍で集いにくくなったこと」だけではないだろう。以前からソロ飯は人気ではあったし、筆者も学生時代からこよなく一人飯を愛してきた。人間はそもそも集いたいのか、一人を好むのか。コロナ以前とコロナ後では、ソロ飯の位置づけはどう変わったのだろうか。
ソロ飯のメリットは自由度の高さ
一人の食事には「環境、条件によってやむなく一人で食事をする」場合と、「あえて一人を好む」場合があるが、ソロ飯のワードには後者の意味合いが強い。「焼肉ライク」のように店舗コンセプトを一人食に据えた店舗に人気が出る現在は、一人外食が寂しいものであるという印象は薄れたといえる。今も一人で外食をすることに抵抗がある人も少なくないが、以前よりもはるかにその抵抗感は薄れているといえるだろう。
ソロ飯の利点として、下記のような自由度の高さが挙げられる。
・自分の好きな料理と好きな量の選択ができる。
・食べる時間配分は自分次第。
・一緒に食べる相手への気遣いのわずらわしさがない。
「ヤドカリ」としての飲食店利用
ファストフードでない限り、飲食店に入店してから退店するまで少なくとも40分ほどはかかる。スマホが普及していない時代は、雑誌や本、新聞を広げる人が大半だったが、今は皆無に近いといってよい。スマホないしノートパソコンを開き、外部との接触をしているか、ゲームなどの自身の余暇を楽しむ。食事をしながらビジネスもできる。
食べる時は料理を見るが、それ以外の時間はスマホを見ている場合、飲食店という公共の場にいながらにして、実は本人の感性は別の場所にある。飲食店という安堵できる場所を借りて自分の世界にいるので、飲食店はある意味“ヤドカリ”のような価値になっているとも感じる。
ソロ飯は会話ができない時代は終わり、SNSなどを通じて個人間の“会話”ができるのである。
筆者は学生時代から一人飯をしていた。学生の頃は行きたい店が多々あり、一食でも多く探求心を満足させたかったためだ。もちろん人との会食も楽しいと思うのだが、一人の場合は料理と会話がしやすいのでそこに至福を感じている。時には店のスタッフとの会話も楽しむ。また、店の空気やスタッフの動きを感じられることも好ましい。しかし一般的には筆者のような「オタク」は少ないだろう。
コロナ禍以前からその傾向はあったが、大人数の「決まりごと」とされた会食はコロナ禍でより減少した。長年続いていた企業内の歓送迎会や接待、学生のサークル飲み会、ママ友の会…、多くの慣習とされてきた会合がある。おそらく、コロナ収束後もそのすべてが以前同様に復活しないだろう。また、復活しても以前よりも参加・不参加の選択がしやすい雰囲気は増したのではないだろうか。
コロナ禍となって、“集う”ことそのものへの自由度も高まったのだ。
ボーダーレス社会における選択肢の広がり
コロナ禍以外にソロ飯需要の増加の背景には、ボーダーレス社会が関係していると考えている。以前は、ファストフード以外で女性が一人で食事しやすい業態は、パスタ専門店かカフェくらいであった。男性の場合も一人でスイーツ専門店に行くのは恥ずかしい、といった風潮もあった。しかし、現代では、食べ方も食の趣向もボーダーレスとなり、女性も一人でビッグサイズのステーキを食べるし、男性もスイーツビュッフェに足を運ぶ。
筆者は大学で講師をしているが、昼休みに一人で食事をする多くの学生がいる。筆者が学生の頃はほとんど見当たらなかった光景だ。常にソロ飯の学生、時には友人と食べる学生、常に友人と共に食べる学生…。三者三様あるのも現代らしさといえる。自由なのだ。企業人においても、ランチはソロ飯をするという人は多い。
筆者の場合、ソロ飯でリラックスしたならば、次は人との会食が恋しくなるが、常に一人を望むという人も珍しくない。老若男女、年齢、職業など関係なく全体的に食べ方に気兼ねがいらなくなった。
自由なソロ飯で危惧するもの
自由とは何なのか。たしかに他人との会食には気遣いが伴い、何かしらのストレスはある。しかしストレスの中に楽しさや喜びもある。「食欲」は社会性やコミュニケーションを伴う本能であると思う。食事をしながら、相手を知り、相手との関係性を良質に変えていった歴史が、人類にはある。
今、対人関係を深める手段が減少しているといっては大げさだろうか。今後もソロ飯需要は強いだろう。だからこそ、スマホの力を借りなくともソロ飯を楽しみ、他人との会食も楽しむ。各自が自分の良いバランスを崩さないようしっかり見つけていかなければならない時代なのではないか。(食の総合コンサルタント 小倉朋子)