5000年前から親しまれてきた香辛料 ガーリックは植物学上、おおにんにくとして知られ、強烈なにおいがする。歴史によれば、5000年以上も人類はガーリックを好み、紀元前 3733年カイロ西南、ギゼの大ピラミッド建設労働者の食事は大部分オニオンとガーリック…続きを読む
ビスケットの語源は「二度焼かれたパン」 ビスケットの語源はラテン語のビス・コクトゥス(bis coctus)で、その意味は、二度焼かれたものとされている。このビス・コクトゥスは、のちに二度焼かれたパンというラテン語のビス・コクトゥス・パーニスともいわれ…続きを読む
世界的には少数派のジャポニカ米 「コメ」は世界三大穀物の1つに数えられ、総生産量は1位トウモロコシと2位小麦に次ぐ第3位となっている。主としてアジア諸国で生産され、ジャポニカ米とインディカ米に大別される。日本で常食されているジャポニカ米は、わが国以外で…続きを読む
ナポレオンが普及させた酒、コニャック 酒には紀元前からあった酒類と、近代になって発展したものとがある。酒の女王ともいえる ブランデーは後者の酒で、その歴史はたかだか400年である。 ブランデーのもととなるブドウ酒と蒸溜技術は紀元前から存在し、現に未開人…続きを読む
ビールの語源 ビールは古代バビロニアではシカリといった。このシカリがヘブライ語ではシェケール(濃い酒)となり、ギリシャ語ではシケラ(甘い酒)となる。ホメロスの「イーリアス」にはキューケイオー(混ぜ粥)というものが出てくるが、これは粥といっても飲みものと…続きを読む
日本では麦茶として親しまれる大麦 麦茶は、日本古来の飲料として広く消費者に親しまれてい 飲料だ。麦茶の市場は、冷蔵庫の普及、簡便なティーバックの導入やペットボトル入り麦茶の 販売が行われるようになり拡大してきた。最近の麦茶の市場規模は、原料規模で約6万…続きを読む
上品な甘みのある白味噌 近畿各県と岡山、広島、香川で主に醸造され、一般に白味噌の名でよばれるクリーム色をした甘い味噌である。 産地により品質的に若干の違いがあり、西京味噌、府中味噌、讃岐味噌、関西白味噌などと称せられている。 麹歩合は一般に20~25歩…続きを読む
人気のおでんだね、こんにゃくが広まるまで こんにゃくいもは、サトイモ科の多年生作物であり、原産地はインドシナ半島といわれている。わが国への渡来にまつわる 説は多数存在しているが、根栽・農耕文化の北方伝播とともにサトイモなどと縄文時代に渡来したとの説が有…続きを読む
物資から商品へと変化したコメ 食糧難時代の1942年、コメを中心とする主要食糧の政府管理を目指し、従来の米穀統制法を廃止し「食糧管理法」が制定され、流通するコメの全量が政府 の直接統制下に置かれた。しかし戦後の経済発展により日本人の食生活は格段に向上、…続きを読む
アレルギー反応緩和が期待される烏龍茶 わが国ではすでに食生活に定着した烏龍茶が再び見直されつつある。半発酵の烏龍茶にはカテキンのほかに、多様なポリフェノールが含まれていることが明らかになった。烏龍茶のポリフェノールには消化管からの脂肪の吸収を抑え、脂肪…続きを読む
ウオッカの起源はポーランド? ウオッカの起源として、12世紀にロシアにすでにあったという説と11世紀にポーランドに存在したという説の2説がある。しかし、記録としてはモスクワ公国(13世紀~16世紀)の記録には、ロシアの農民が飲んでいたことが記載されてい…続きを読む
動脈硬化症を予防する高オレイン酸タイプのサフラワー油 サフラワーはキク科の植物で当初、花(紅花)が織物の染色や食物の臭い付け、着色などに利用されていたが、その後、種子から油をとって食用、工業用 に供されるようになった。 種子の形態はひまわりに似ているが…続きを読む
熱風乾燥機で生産されるようになった切干大根 わが国で本格的な乾燥装置が登場するのは戦後になって、穀類の乾燥機が開発されてからといわれる。平型(箱型)乾燥機は当初、籾(もみ)の乾燥用に開発された常温通風のものが、天候に左右されないように熱風発生装置を取り…続きを読む
2005年の寒天ブーム テレビ放送の影響で、空前の寒天ブームが起きたのは記憶に新しい。寒天の製造・供給が間にあわず店頭から一時寒天が消えたこともあった。ブームの後には、乱獲による原料海藻の高騰や、中国からの粗悪な輸入品、安全性を欠く非衛生的なものが出回…続きを読む
もっとも多く生産される穀物、トウモロコシ トウモロコシは、世界でもっとも多く生産される穀物であり、家畜飼料が主な用途であるが、食用、工業用原料にも利用され用途の幅が広い種子作物である。穀粒には、でん粉、たん白質、脂質、糖、炭水化物、無機質を含む。トウモ…続きを読む
チョコレートの種類 チョコレートは菓子類のなかでも特に子供や女性層に愛好されているものである。独特の風味と口どけは、原料であるカカオ豆に由来する香味成分と脂肪(ココアバターという)によるもので、チョコレート菓子だけでなく、菓子類全般に、風味づけ、特徴づ…続きを読む
柑橘類の苦味の正体 カンキツ類には他果実にない苦味成分が含まれている。この成分は一般には、フラボノイドとリモノイドという化合物が原因とされている。フラボノイドにはナリンギンという成分があるが、夏ミカンやグレープフルーツの苦味は、このナリンギンのためであ…続きを読む
グルメ化するレトルトカレー レトルトカレーが1968年(昭和43)年に市場に現れた。導入期では、その簡便性だけが追求され、あたためるだけで簡単にできるという商品イメージが定着していたが、昭和50(1975) 年代中半からしだいに払拭され、50年代後半か…続きを読む
めんは「そば切り」、植物は「そばむぎ」 そば(蕎麦)は、植物のそばとめんのそばの両方を意味しているが、そばめんは本来、「そば切り」と称していた。すなわち、そば粉をこねて生地を延ばし、包丁で細く切っためんを意味した。江戸末期になって、そば切りを単に「そば…続きを読む
長期保存できる魚食だったすし すしは、魚をご飯で漬け込んだなれずしとして、奈良時代から存在が知られている。長期保存できる魚食だったが、江戸時代には酢を用いた現在のすしが 登場し、幕末には屋台で食べるファストフードとしてにぎりずしが普及した。 すしの素は…続きを読む
気取らない菓子として登場した大福 江戸時代は歴史上稀にみる安定した社会を実現した。そのなかでも元禄時代は、経済的な発展を背景として、華やかな元禄文化が花開いている。 さまざまに発展してきた菓子ではあるが、1600年代に入ってもまんじゅうや羊かんあるいは…続きを読む
そばの美味しさは粉で決まる 二八とはそば粉8割、小麦粉(つなぎ) 2割の配合割合でそばを打つことで、二八はそば粉と小麦粉の比率である。一説には2×8+6文といった値段の説があるが、二八そばのことをいったのではない。 二八の言葉が現れたのは、江戸時代の享…続きを読む
長野で生まれ、長野で育った高野豆腐 長野県のシミ豆腐製造には、佐久式と諏訪式とがあったが、両製法の大きな相 違点は、凍結後の熟成を自然にまかせるかどうかだった。東北地方から北関東にかけての広大なシミ豆腐圏は、ほとんど自然熟成法をとったが、信州では逆 に…続きを読む
日本茶の歴史 茶の飲用は、古代中国で偶然の機会から始まったとされる。 唐時代には“陸羽”が茶の解説書ともいうべき「茶経」(760年)を著したことから、喫茶の風習が高まったといわれる。 わが国では、この時代遣唐使たちによって茶の種子とともに、作り方や喫茶…続きを読む
縄文時代から海苔を食べ続けてきた日本人 天然産ノリを人類が採取し利用したのは、縄文前期(貝塚時代)沿岸に住みついた時からで、貝類とともに食用に供されたと推定されている。海藻類は保存性がなく貝塚からは証明されないが、間接的に当時棲息していたほかの生物との…続きを読む
進化するスリランカ等のインスタントティー (インスタントティーとは)紅茶の可溶成分を粉状か粒状に乾燥したもの。製造方法は、紅茶の茶葉を熱湯浸出して、エキス分を真空で濃縮し、噴霧乾燥させる方式と、濃縮した紅茶の抽出液を急激に冷却させ、高い真空のなかで水分…続きを読む
増える大豆の需要 大豆は短日性の1年生作物で、主として温帯地方で広く栽培されている。 大豆は、18%前後の油分と利用度の高いたん白質を40%程度包含し、きわめて多方面に活用されている。また、大豆は広い用途をもっているだけでなく、栽培面においても、土壌の…続きを読む
門外不出だった麩は江戸時代に広まった 江戸時代、寺から門外不出であった麩が全国に広まっていくこととなる。都が浪花とともに「上方」とよばれ、江戸と同様に情報の集積地であったこともあ り、地方からの奉公人や見習い、総本山での修行僧が麩の製法をこの地で覚え、…続きを読む
原料の輸入が難しくなってきたメンマ 広義にはラーメンなどに使用される輸入された麻竹タケノコを乾燥・加工したものである。今日では天日乾燥した筍、すなわち「中国産メンマ」を指して いる。1974(昭和49)年頃まで は、筍片(スンペン)とか統床片(トウショ…続きを読む