日本の健康食、そば そばは、全国各地に産地が数多くある。乾めんの生産量からみると、長野、山形、兵庫、新潟などである。 そのうち、長野には信州そば、 戸隠そばがある。信州はもともと玄そばの生産量は少ないが、良質のものが多かったといわれている。そばは「挽き…続きを読む
紀元前からの歴史をもつ味噌 味噌は日本人の食生活のなかで米麦食とともに定着し、長い伝統をもった必需品として、栄養的にも重要な役割をはたしてきた。 その起源は中国大陸にあり、 紀元前1000年頃の周王朝初期の記録である周礼に獣肉・鳥肉・ 魚肉を原料とした…続きを読む
祝い事には欠かせない昆布 昆布の和名はヒロメ(広布)となっているが、昆布という名の由来ははっきりとしておらず、一説にはアイヌ人が「コンブ」 とよび、これが中国に入って、再び外来語として日本に逆輸入されたからといわれている。 また、昆布を「コブ」ともよぶ…続きを読む
高い栄養価で明治初期に注目された牛乳 明治時代(1888~1902年)に入るまで、牛乳は貴族の飲み物であった。一般の人が牛乳を飲めるようになったのは江戸時代末期の1863年に、前田留吉という人が外人居留地で牛乳の搾取販売をしていたオランダ人スネルに雇わ…続きを読む
「仏家の食用として清浄これ勝るものなし」と評された寒天 寒天は、わが国で製造方法が 発明され発展を遂げてきた食品であり、今日では世界各国で食用、医療、バイオなどに供されて、生産されている国際商品で ある。その歴史は350余年と古く、 発祥の地は山城国伏…続きを読む
十字軍によってヨーロッパに伝播されたそば そばの発祥地はアジア大陸中心部の内陸山岳地帯といわれており、日本にそばが伝来したのは約3000年前の縄文晩期と考えられている。そばに関する世界最古の文献は、中国本土の南北次代末期(6世紀)に記された『斉民要術』…続きを読む
遅れてきた主役、生クリームのクリスマスケーキ 昭和40(1965)年代にかけてモンブラン、サバラン、バヴァロア、クレーム・サン・トノレやその他のクリーム菓子などがショーケースを飾り、洋生菓子の最盛期へ入っていく。この頃からホテルやレストランでしか出され…続きを読む
普及したバタークリーム仕上げのクリスマスケーキ 長い間大ブームとなって売れに売れたクリスマスケーキのブームの兆しは1948(昭和23)年頃からみられた。経済統制が撤廃されると売れ行きはさらに加速し、 バタークリーム仕上げのクリスマスケーキはその後昭和3…続きを読む
かつて宮中で特別な日に食べられていた麩 麩の原形は、中国の「麪筋(メンチン)※」であると考えられる。この麪筋という食べ物も、小麦粉を水で練り、でん粉を水で洗い流した弾力性のある粘った物で、たん白質(グルテン)のかたまりである。(※「麪」は小麦粉を一字 …続きを読む
脂肪分の少ないところにビタミンB1が多い豚肉 豚肉の栄養面の特徴は、第一に良質なタンパク質の供給源であり、体内でつくることのできない必須アミノ酸をバランスよく含むことである。また疲労回復に効果があるとされるビタミンB1を豊富に含み、特にヒレやモモなど脂…続きを読む
漬物は昔、海水に漬けて作られていた? 漬物は食塩を利用することにより野菜を長期に保存することが可能となることから、乾物などと同様にもっとも古い保存食品の一つである。「藻塩焼(もしおやき)」という語句が万葉集のなかに出てくる。この「藻塩焼」の藻は海中に漂…続きを読む
バラエティ豊かな料理、シチュー カレーが代表的なインド料理であるのに対して、シチューといえば代表的な西洋料理の一つである。シチューとは、深めの鍋に肉、野菜を入れて、トロ火でじっくりと煮詰めたドロッとした煮込み料理の総称である。 世界各国には、ビーフシチ…続きを読む
生クリームたっぷりのクレープが生まれるまで マリオンクレープのスタートは1976年、東京都渋谷区の公園通りにあった駐車場の一角に出店した、ワゴン型の実験店舗からであるという。 テークアウトを目的としたクレープ販売のヒントは、同社代表取締役社長の岸伊和男…続きを読む
水沢観音の門前に店が並ぶ水沢うどん 群馬県は比較的良質の小麦がとれ、太打ちの上州うどん、今日ではお切り込みうどんとしてよく知られている関東のうどんの産地である。その代表的なうどんが、 榛名(はるな)山麓の水沢観音の門前に店が軒を並べ食べさせてくれる水沢…続きを読む
飛行機製作のために生産が減ったチーズ 日本でチーズを生産した記録は、1921(大正10)年に始まる。当時の国内生産量はわずかに8 tで、輸入44tを合わせても52 tであった。1925から1927年の 国内での総消費量は63~68tで、1人当たりに換算…続きを読む
小麦からできるグルテンは繊細 「グルテン」とは繊細な物であり、粘着性のあるグリアジンと弾力性のあるグルテニンとい う、主に2種類のたん白質からできている。小麦グルテンの精製には、たん白質が豊富な小麦粉(強力粉)・塩・水が使用され、小麦粉に塩と水を加え、…続きを読む
中華料理がはやく出てくる理由 中華料理店の主人は、その日に使う調味料の一部を、朝一番に調合し、あらかじめ数種類用意しておく。これは、昼食や夕食の時などオーダーが一時に集中しても手際よく応じ、人手の足りない時にも困らないように考えられた昔からの知恵である…続きを読む
南極で利用される冷凍食品 第二次世界大戦終結後アメリカでの冷凍食品の急速な普及に刺激され、国内での研究・試作も活発になった。1948年に日本冷蔵(現在のニチレイ)がライファン詰めのホームミート、ホームシチュウと称する調理冷凍食品をデバートで試売したのが…続きを読む
ビタミンB1を豊富に含むいんげん豆 いんげん豆の成分組成は大豆とは異なり、炭水化物が約58%ともっとも多く、その大部分はでん粉である。たん白質は20%前後だが、脂質は2%程度で大豆の1割ほどしか含まれていない。また、カリウム、カルシウム、鉄などのミネラ…続きを読む
イギリスに輸出されるケニアの茶 1963年独立国となったケニアは、東アフリカの赤道下にありマラウイにつぐ新興産茶国で、主として英国資本により1920年代に開発され、急速に発展した。 2011年における生産量は37万8,000tで、生産地は、主としてニヤ…続きを読む
胃腸の味方、納豆 大豆そのものが体にさまざまな効き目をもたらすことは古い時代から知らされ ていた。平安時代につくられた 「医心方」という医書のなかに、大豆のさまざまな体への効能が書かれている。「大豆を炒り、熱いうちに酒の中に入れて飲むと、中風(脳卒中)…続きを読む
タイから伝わった蒸留酒 蒸溜によって香料をとる技術は、紀元前3000年メソポタミアに存在していたといわれるが、醸造酒を蒸溜してアルコールをとり、飲料に供するようになったのは、西洋でも16世紀末以降と考えられている。中国では14世紀の元の時代には醸造酒を…続きを読む
クローブの主産地、タンザニア クローブは、丁子樹の花蕾を乾燥したもので、高い芳香と灼くような辛味を有している。 クローブは、モルッカ諸島に限って産していたもので、オランダ領になって種子、苗木の輸出を厳禁して独占につとめたが、18世紀初頭にフランスによっ…続きを読む
御事汁にも使われるこんにゃくは、医薬用として伝わった こんにゃくいもは、サトイモ科の多年生作物であり、原産地はインドシナ半島といわれてい る。わが国への渡来にまつわる説は多数存在しているが、根 栽・農耕文化の北方伝播とともにサトイモなどと縄文時代に渡来…続きを読む
引き揚げてきた人の多かった神戸で、ビーフンの製造が始まった 戦後の食糧難が一段落した1950(昭和25)年、高村健民氏 (ケンミン食品創業者)が神戸で、 アジア各国でビーフンの味を憶えて引き揚げてきた人々の間で「もう一度ビーフンを食べたい」という要望が…続きを読む
マヨネーズの発祥はスペインのメノルカ島 マヨネーズの起源については諸説存在するが、スペインのメノルカ島が発祥の地という説がもっとも有力である。18世紀の半ば、当時はイギリス領であった地中海に浮かぶ、メノルカ島をフランス軍が占領、その時の元師リシュリュー…続きを読む
オーストリアで食べられているパン「ミッシュブロート」 ライブレッド(ライ麦粉パン) の代表例で、穀物粉にライ麦粉と小麦粉を同量使用している。ドイツやオーストリアでよく食べられている。小麦粉が50%以上の場合はヴァイツェンミッシュブロート、ライ麦粉が50…続きを読む
サクラの仲間、アーモンド 学名(Prunus dulcis (Mill.) D.A.Webb)は、バラ科サクラ属 の落葉果樹で食品に利用されているスイート種(甘扁桃)と主として咳薬の原料として使われるビター種(苦扁桃)がある。ビター種には青酸化合物であ…続きを読む
小麦に水を加えて捏ねると粘る理由 日本の小麦粉は無漂白で、淡いクリーム色である。色はカロチノイド系色素によるが、貯蔵中に酸化されてやや淡くなる。デュラム・セモリナには色素が 多い。通常の小麦粉は直径 150マイクロミリグラム以下で、大粒と小粒があり、 …続きを読む
大腸内で働くビフィズス菌 1900年代になり、発酵乳が健康と長寿に関係があるとする研究がさかんになり、1910年にロシアの生物学者メチニコフが、ブルガリア地方に生活する人達 に長寿な人が多いのは、彼らが日常多く摂取しているヨーグルトの乳酸菌が健康に効果…続きを読む
砂糖や卵の使用は南蛮の食文化として伝わった 1543年ポルトガル人が種子島へ漂着してから、日本人とヨーロッパ人との本格的な交渉が始まった。大航海時代を経たスペイン人やポルトガル人たちはさ かんにアジアへ進出しており、日本との接触もその一環である。 彼ら…続きを読む