海外日本食 成功の分水嶺(80)黒ニンニク製造販売ペロンヤスさん〈下〉
●タイに魅せられ移住決意
滋養強壮効果のあるニンニクを加熱熟成させて出来上がる「黒ニンニク」の生産を、このほどタイで始めた日本人俳優の「ペロンヤス」こと宮内靖彦さん。タイとの付き合いはもう20年以上になる。大阪・岸和田生まれ。高校を卒業後、大阪の吉本総合芸能学院(NSC)を経て漫才の道に。その後、俳優業に転じるようになった。
初めての本格的な一人旅を経験した1998年、タイ湾に浮かぶタオ島でバンガローに泊まった時のことだ。夢の中で炎に包まれ飛び起きたヤスさん。アルコールランプの消し忘れが原因の本当の火事で、やけどを負いながらも命だけは辛うじて助かった。翌朝、バンガローのオーナーに陳謝に行くと、「命があって良かった」と逆に心配された。予想もしなかった慈悲深い温かな心配り。すっかりと魅了され、タイのとりことなった。2001年、単身での移住を決意した。
2年後にタイで初めて出演した緑茶のCMでは、カンヌ国際広告祭で金賞を受賞。その時のせりふ「新芽チョーダイ!」はタイで大ブームに。以後、日本とタイの映画、広告、TV番組などで精力的に活動を続けている。太平洋戦争を舞台としたタイの国民的恋愛小説「クーカム」の映画化では、現地のスーパースターに交じって軍医役で出演も。タイでよく知られる日本人の一人だ。
そのヤスさんが、黒ニンニクの生産に先だって事業化したものに、天然素材の布地を使った日本ふんどしの生産・販売がある。事業化に当たって付けた商品名は「忍ブランド」。生地の買い付けから、ファッション製のあるデザインも自身で手掛けた。安心・安全、清潔、速乾性をセールストークに、これまで80種類を開発、売り上げている。
タイ語で「パーカオマー」と呼んでいる腰回りを長い布で巻く服飾文化は、タイ北部やミャンマーなど東南アジアに広く残っている。忍ブランドはこうした客らに広く浸透。「サムライ・アンダー・ウエア」として注文が来るようになった。今後もデザインを更新するなど販路を広げたいとしている。
ヤスさんは現在、バンコクから北に約120kmのサラブリー県にあるのどかな農村地帯で、バンコク生まれのタイ人妻と2人の子どもとともに暮らしている。バンコク首都圏へはディーゼル機関車がけん引する鉄道で優に2時間以上。仕事がある時だけ、通勤する日々だ。
8年ほど前に、現地に土地を購入。その後、結婚を機に家を建て移り住んだ。森が広がり、小川が流れる自然あふれる農村で、日本とタイの橋渡しをいつも考えている。購入した自宅隣の森林を「忍の森」と名付け、ゆくゆくはゲストハウスなどを運営していく計画も持つ。「アスレチック、キャンプ、バーベキュー…。やりたいことがたくさんある」と目を細めるヤスさん。演技とは違った柔和な笑顔を見せてくれた。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)