海外日本食 成功の分水嶺(134)居酒屋「照(テラ)」〈下〉

連載 外食 2021.10.13 12308号 03面
「スタッフには助けられている」と話す内川智貴さん。右はトンロー本店のディアさん=タイ・バンコクで小堀晋一が9月20日写す

「スタッフには助けられている」と話す内川智貴さん。右はトンロー本店のディアさん=タイ・バンコクで小堀晋一が9月20日写す

●回復始まる海外の日本食需要

九州・福岡を拠点とする居酒屋「照(テラ)」グループがタイ・バンコクへの出店を決めた時、後にバンコク店の社長を務めることになる内川智貴さんは米国東部・ボストンにいた。とんこつラーメン店の出店準備。請け負った立ち上げの仕事が間もなく終わろうとしていた。日本からかかってきた電話の内容は「タイに店を出すからやってくれないか」。考える間もなく「行きます」と即答。頼られるのがうれしかった。

次の日には福岡に到着し、その翌日にはもうバンコクにいた。旅行でも訪れたことのない南国の地。新鮮な興奮を覚えた。後で知ったことだが、一緒に赴任した妻は日本でマッサージ師の資格を持つ有資格者。タイ赴任の話を自分よりも早く耳にし、夫よりも先に「行きたい」と会社側に“直訴”していた。

高校生のころから海外生活と飲食業に、人並み以上に関心があった。大学2回生の時には、単身でカナダ・バンクーバーへ。ワーキング・ホリデーの制度を活用してまるまる1年間、現地の人々ともにみっちり居酒屋で働いた。

日本へ帰国してからも、息つく間もなくテラ本店などでアルバイト。飲食業が楽しくて楽しくて、大学は途中で辞めた。テラにはそのまま就職した。

実質的なのれん分けとして、牛すじラーメンの専門店の経営に挑んだのは24歳のころだった。テラの名物料理・牛すじ煮込みにヒントを得ての判断だった。これが予想を超えてヒット。店は繁盛し、後の海外渡航を機に売却した。

バンコクでの生活が始まって2年余りが過ぎた今、内川さんはコロナ後の海外日本食のあり方を真剣に考えている。

もともとバンコクでの仕事も、立ち上げが中心の長くて数ヵ月。声がかかれば「次」に行くつもりだった。それが予期せぬ感染拡大で長期のバンコク暮らしとなった。だが、その分、分かったこともある。街の息遣い、市場の動向。そして、求められている日本食需要の実感だ。

内川さんによれば、ワクチン接種が進む北米では、コロナ収束後の日本食出店の動きが徐々に始めているという。こうした動向はやがて、欧州やアジア、全世界に広がっていくとみる。中でも目下の関心は人口5億人の欧州だ。フランス料理やイタリア料理といった本格料理が存在する中で日本食がどれだけ浸透できるかに関心がある。

アフター・コロナの第一歩として、内川さんは再び渡米する計画を立てている。出発は早くて10月の予定だ。目指す消費地はニューヨーク、そして西海岸のロサンゼルス。ここでも日本食店の立ち上げ事業に参加する見通しだ。

テラ・バンコク店を立ち上げて1年余。二つある店舗は自分が不在でも回るようになった。スタッフも、先任が新人に教える習慣が定着した。「自分ができることはほぼやった」と内川さん。

期せずしての長期滞在となり愛着の増したタイ・バンコクの暮らしだが、それも間もなく終えようとしている。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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