海外日本食 成功の分水嶺(91)日本料理「さんや」〈上〉
●日本人には負けたくない
東南アジア・タイの首都バンコクで日本料理店「さんや」を経営する料理人のサンヤ・トゥラジットさん(45)は、東北部ウドーンターニー県出身のタイ人男性。この地に店を開いて昨年、満15年を迎えた。開店当初は家族中心のこぢんまりとした営業で、エアコンもわずか1台だった。だが、今では多くのスタッフや常連客に囲まれるまでに急成長。客の心をつかむためにこだわってきたのが、「仕事を終えて家に帰ってきた時のような心温まる店作り」だった。
長屋式のタウンハウスに店はある。2階の一間だけの営業から少しずつ増床し、現在は3階と4階も客間に。疲れが取れるようにと掘りごたつ席も用意した。メニューも、刺し身、寿司、煮込み、揚げ物、炒め物、焼き物など、日本の居酒屋にありそうなものは一通り揃えるまでに充実させた。ひとえに「おいしいものを安く提供し、少しでも長居したくなるように」という思いからだった。
とはいえ、タイの地方出身のサンヤさんが当初から日本食の料理人や、日本式居酒屋の経営を目指したわけではなかった。コメ作りが主要な産業で、企業進出の少ないタイ東北部。学校を終えた若者たちの多くは、バンコクなどの都市に出て職を求めた。サンヤさんもそうした一人。17歳で初めて上京して就職したのが、実姉がウエートレスとして勤めるバンコク・スリウォン通りの日本人経営のとんかつ専門店だった。当時はまだ、日本語は全く解せなかった。
同店を振り出しに、同じエリアにあった計三つの日本料理店で修行を積んだというサンヤさん。「和食のノウハウの大半をこの時代に学んだ」。一方、語学学校にも通って独力で日本語をマスター。読み書きも自在に操れるまでとなった。こうして29歳の時に新規開店したのが、姉ノーンさん、妹ナーンさんらと始めた「さんや」だった。
だが、出店当時はタイ国内にサプライヤーは少なく、日本食材はおろか調味料でさえ調達が難しかった。そこで取り組んだのが、自身の料理人としての経験と味覚を頼りにしたオリジナルのソース・たれ作り。欠品とならないよう、レシピ化し“秘伝のタレ”として大切にしている。
新鮮な野菜の調達にも工夫をしている。肥沃(ひよく)な大地が広がる故郷ウドーンターニー県の畑で、小松菜やキャベツ、白菜やネギの栽培を手伝ってくれるのは母親のコンさん。子どもたちが力を合わせて日本料理店を切り盛りするのを今も裏方で支えている。それだけではない。収穫したばかりの野菜を鮮度のよいまま店に車で送り届けてくれるのは、成人したばかりのナーンさんの息子たち。家族3世代が力を合わせているところに、この店の特徴がある。
出店したばかりのころ、心ない日本人客から冷たい言葉を浴びせられたことがある。「3ヵ月でつぶれるな」と。だが、「逆に、日本人には負けたくないという気持ちになった」とサンヤさん。ほのかに感じたという「プレッシャー」で、さらにより良い店作りを目指している。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)