海外日本食 成功の分水嶺(135)衛生紙製造「タイ和光ペーパー」〈上〉

連載 機械・資材 2021.11.05 12319号 03面
タイ和光ペーパーの初代責任者だった安並剛さん(左端)とタイ人スタッフたち=提供写真

タイ和光ペーパーの初代責任者だった安並剛さん(左端)とタイ人スタッフたち=提供写真

●タイの飲食店を衛生面からサポート

日本食レストランの総数4000店を数える東南アジアのタイ。その店先で、日系企業が製造販売している衛生用品の台布巾が活躍しているのをご存じだろうか。製品名「ウォッシャブルワイパー」。高知県の田舎町にある製紙会社のタイ法人が顧客のニーズとともに開発した万能布。布巾としての用途のほか、調理場の清掃などでも活躍している。

ウォッシャブルワイパーを製造販売しているのは、高知県いの町にある製紙メーカー「和光製紙」(塩田誠人社長)のタイ法人「タイ和光ペーパー」。2014年3月に設立。同製品のほか、水分吸収率が高く食品工場などでも活用できる産業用ペーパーウエスなども扱っている。

この9月末までタイ法人の責任者を務めた安並剛さんは、高知県生まれの48歳。現地法人設立後間もなく単身赴任した。以来7年半、生産の拡大と顧客開拓に奮闘してきた。

タイ進出のきっかけは、国内市場の縮小傾向から。1966年創業の同社。地域の成長とともに社業を拡大してきた。ところが、市場のグローバル化などから海外展開の必要性を痛感するところとなり、日系企業が集積するタイでの事業化を決断。日本貿易振興機構の新興国進出個別支援サービスを活用し、晴れて進出となった。

だが、既存取引先もない文字通りのゼロベース。どぶ板営業覚悟で販路を拡大しなければならなかった。そこに選ばれたのが生産の現場も知る一人、安並さんだった。予想もせぬ指名に、当初は「行きません」とかたくなだったが、会社側は懸命に説得。社運を背負って、見知らぬ熱帯の大地を踏むこととなった。

それでも、いきなりの販路開拓は難しかろうと、2年目までは日本の親会社からペーパーウエスの原紙を輸入。用途別にカットするなど製品化して日本に送り返す「タイ工場」として稼働する予定としていた。

それが未定に変わったのは、バーツ高に伴う為替の影響が顕著となったためだった。日本向けにそのまま輸出をしていたのでは利益が一向に出ない。そこで下ったのが「タイの国内販売先を開拓せよ」という社命だった。困り果てた安並さん。思いつく先を片っ端から訪ね歩き、新たな用途の発見と創出に努めた。

転機は、バンコクなどでチェーン展開する日系の居酒屋で訪れた。そこで店側から「丈夫な台布巾はないか」と打診があった。それまでは市販のタオルなどで代用していたが、破れやすく、カビが生えやすいなど衛生面で問題があった。

そこで提案したのが、不織布を原料としたウォッシャブルワイパーの納入だった。見た目にも良く衛生的で、10回以上洗っても再利用できる経済性も注目された。アルコール分を含ませて使用すれば、新型コロナウイルスなどの感染症対策にも効果的だった。

新製品は見事ヒット。顧客も手放しで喜んでくれた。口コミで取引先も広がった。足で稼いだ7年半を、安並さんは今、懐かしく思い出している。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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