海外日本食 成功の分水嶺(117)日本料理店「まりちゃん」〈上〉
●タイ最南端・日本人経営和食店
タイの首都バンコクからマレー半島を南に約950km。あと60kmほど南下すればマレーシア国境という場所に、タイの南部地方で最大の都市ソンクラー県ハートヤイ(ハジャイ)がある。華僑の客家人が100年ほど前に入植し切り開いたとされる地で、その後、この地方の交通の要衝に。タイとマレーシアを結ぶ国際列車や国際陸上輸送路のタイ側玄関口として、多くの乗客や貨物でにぎわう国際色豊かな都市だ。
戦時中は日本を含む各国の諜報員が潜伏していた要地の一つともされ、ここに住む住民の人種や宗教も多彩であった。タイで主流の仏教のほか、マレーシアで多数派のイスラム教、欧米人が信仰するキリスト教なども広く混在。域内には仏教寺院やイスラム教寺院、教会などが今も当時の面影を残している。
人種や宗教の違いは食事にも表れる。国王が仏教徒であることを憲法で定めるタイの全土でムスリム(イスラム教徒)の割合は5%ほど。だが、ソンクラー県以南の通称「深南部」4県では多いところでムスリムが8割を超え、食事も香辛料が効くムスリム流となる。四季を感じさせる日本食が入り込む余地は乏しく、長らく「和食空白地」として住民らが親しむ機会も少なかった。
そのような土地に2002年2月にオープンしたのが日本料理店「まりちゃん」だ。ゼネラルマネージャー兼オーナーの安田裕治さん(56)は東京都の出身。タイで最も南にある日本人経営の日本食専門店として、タイ人妻のプーさんほか数人のスタッフで切り盛りをしている。
出店当時、ハートヤイにも、バンコクで修行経験を持つタイ人らが開いた日本食店がわずかにはあった。だが、鮮魚などの食材は入手が難しく、たまにあっても冷凍品。専門食材を扱うサプライヤーも、日本食の味を知る客もほとんどいなかった。地域住民にとって日本食は、海のものとも山のものともつかない未知の食べ物だった。
食材がないならば自分で探そうと、安田さんが行ったのは市場めぐり。漁船が入港する早朝を狙うなど足を運んで自ら目利きを始めた。そこで分かったのは決して十分ではないものの、アジやタイなど遜色(そんしょく)ない食材が現地でも入手できること。まれに、タイ湾で捕れたマグロの水揚げもあった。これらを買い付け、店で提供することにした。
ところが、元来、生食は行わないのが南国熱帯の料理法。おいしいからと勧めても、箸が進まない客も少なくなかった。「入荷しても3日目に廃棄する。当時はその繰り返しだった」と振り返る。日本食が浸透するまでには、しばらくの時間が必要だった。
まりちゃんのメニューは刺し身などのほか、焼き魚、トンカツ、煮物、炒め物などごく一般的な和食店の品揃え。タイ人向けやマレー系住民向けに、味を変えたり冷めてから提供することは一切していない。「熱いものは熱く、冷たいものは冷たいまま。標準的な日本食を提供するよう心掛けている」と安田さん。奇をてらわないことが日本食を知ってもらう秘訣(ひけつ)だと思っている。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)