海外日本食 成功の分水嶺(88)米福&エイオス(タイ王国)〈下〉

総合 連載 2019.11.22 11974号 04面
タイ最北部チェンライでは日本米づくりが盛んだ=タイ・チェンライ県で小堀晋一が10月13日写す

タイ最北部チェンライでは日本米づくりが盛んだ=タイ・チェンライ県で小堀晋一が10月13日写す

●農家、国の発展のために

タイ最北端チェンライ県などで、日本米のあきたこまちの生産を行っている日タイ合弁の農業生産会社「米福&エイオス(タイ王国)」のゼネラル・マネジャーを務めるソンポンさん(32)は、中部サラブリー県の農家の長男。今年61歳を迎えた父は、農耕期はタイ米作り、休耕期は大工をして3人の子どもたちを育て上げた。2008年に妻に先立たれた今も、一人で農作業を続けている。

「貧しい家だった」とソンポンさんが話すように家には大学に進学する資金はなく、高校卒業後は就職して家計を支えるのが当たり前だと思っていた。そこに舞い込んできたのが、高校卒業者向けの海外留学制度の知らせ。全国77都県内のアンプー(日本の郡に相当)から成績優秀者を毎年1人ずつ、日本を含むアジアや欧州など海外に国費で留学させるという制度だった。

「まさか自分が」と思ったソンポンさんだったが、晴れて選考を経て東京の日本大学理工学部に留学。幼いころからの機械好きで、大学では機械工学を専攻。自動車のエンジン構造などを学修した。夜間と早朝は生活費稼ぎのためのアルバイト、昼間は学業に没頭。タイに一時帰国したのは母親の葬儀の時だけだった。

日本の工具メーカーに就職後、縁があって日本のコメ作りにも触れた。品質を追求し、緻密で計画立った生産方式にため息が出た。「これがタイで採り入れられたなら」とは感じたものの、まだ具体的な行動までには至らなかった。

8年ぶりにタイに帰国したのは15年のこと。当初は何をしてよいのか分からず、単発の通訳を請け負うなどで生計を賄っていたが、いつも脳裏にあったのは「タイのみんなのためになっていない」という思いだった。

そんな時に人を介して出会ったのが、チェンライの隣県で日本米などを生産していた中華系タイ人のヨンさんだった。タイ産果物の輸出も手掛けるなど国内の農政にも通じた人物。直ちに駆け付け、“弟子入り”を志願した。日本の生産農家や流通業の専門家らの紹介を受けると、満を持して日本側との合弁企業として一緒に立ち上げたのが米福&エイオス(タイ王国)だった。最高経営責任者(CEO)にはヨンさん、自身はゼネラル・マネージャーに就いた。

ソンポンさんらが目指すコメ作りは至ってシンプルだ。「どうしたらタイの農家が潤って、国が発展するか」。その活路を、まずはシンガポールやマレーシアへのコメ輸出に求め、そして現在はタイの国内販売にも求めようとしている。品質管理を万全とし、鮮度の高いまま末端消費者に届く仕組みを構築すれば、日本からの本場米にも負けないとの自負もある。そのためには寸分の寝る間も惜しんで、農家や流通業者との関係づくりを進める毎日だ。

ソンポンさんが日本で学ぶことができた海外留学制度は、政権交代が原因でわずか4年しか継続しなかった。現在は別の制度があるものの、貧しい農家の子どもたちにはチャンスはつかみにくいシステムとなっている。「タイの農家は本当に貧しい。父が栽培するコメもすべてが出荷向けで、自分で口にすることすらできない。そんな現状を少しでも変えたい」(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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