海外日本食 成功の分水嶺(141)小料理「結び」〈上〉
●コロナ禍で手探りの開業に
タイの首都バンコク・スクンビット地区トンロー。メーン通りからかなり入った路地の左手に、2年前に新規開業したばかりの小料理「結び」はある。1階はゆったりと座れるカウンター席にテーブル席が2卓。和の装飾を施した2階は、小じゃれたテーブル席が4卓ほど。ちょっとした会合やお祝いにも利用できると、日本人客らに人気の店だ。
ところが、オープン時には新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄(ほんろう)され、開業が大きくずれ込むハプニングに見舞われた。
開店してからも、繰り返される都市封鎖(ロックダウン)に客足は途絶え、まさに青色吐息の状態。感染が抑制できるようになってからも、スタッフが個人的な用事で欠勤するなど苦労は絶えない。それでもだんだんと常連客は増え、今ではSNSで取り上げられるなど何かと注目を集める店に成長した。
店主は岡山県倉敷市出身の佐藤和江さん。もともとの料理好き。海外で自分の店が持ちたいと思っていたところへ、倉敷時代の知人がバンコクにいることが判明。早速、訪ねてみると、予想以上の大都会。日本食店はあまたとあるし、サプライヤーも豊富なことが分かった。「ここならできそう」と決断したのはそれから間もなく。2016年3月のことだった。
準備に2ヵ月をかけ、同年5月にタイに再来。良い物件はないかと散策したところ、現在の最寄り駅から郊外に二つ目のプラカノン地区に、体よく空き物件が見つかった。はやる気持ちを抑えきれずに契約しようとした時に出会ったのが、実母の故郷・鹿児島県にゆかりを持つタイ国鹿児島県人会の人たちだった。
「タイのことをまだ何も知らないのに、いくら何でも無謀すぎる」「準備体操もしないで冷たい海に飛び込むようなものだ」。タイの先輩たちは口々に再考を促してくる。揚げ句には、県人会メンバーでもある飲食店のオーナーを紹介。気さくな人物は「慣れるまで、うちで働いて学べばいい」と助け船を出してくれるほどの親切ぶりだった。こうして、タイの飲食業を現場で学習する機会に恵まれることとなった。
最大100人以上は収容できる大規模店で、ホールの接客からキッチン、電話対応まで任された。中でも日本人客向け接客は「日本語で細かなところまで伝わる」と在住者から好評を集めた。新年会に歓送迎会。せっかくの宴の機会が言語の壁で台無しになってしまうことだけは避けたい。日本にいては気が付きにくいニーズがあることを知った。
インフラ整備が完全とはいえないタイの現状もつぶさに把握することができた。突然起こる停電や設備類の故障。営業していて突然、水が出なくなることもタイでは珍しくなかった。こうした時、どのように対処し、どう復旧を急ぐのかを学習した。「あれがなければ、自分の店の開業はできなかった」という経験は、結局2年に及んだ。
新規開店した20年6月はタイで新型コロナの感染が始まって2ヵ月がたったころ。足元の新規感染者は1桁まで減り、飲食店での店内飲食が可能となった時だった。だが、隣国などでは依然猛威を振っていた新型コロナ。不安が大きく募る中、手探り状態の先の見えない開業となった。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)