海外日本食 成功の分水嶺(180)おにぎり専門店「こめこめCLUB」〈下〉
タイ・バンコクのおにぎり専門店「こめこめCLUB」で店頭に立つリサさん(23)は、つい1年前まで大学生。4年生の10月に知人に誘われて初めてタイを旅行した。気の合う3人組、4泊5日の旅。そこで知り合った飲食店関係者から出店計画を聞かされ、すっかり心がときめいた。
タイ全土にある住民の胃袋「屋台」。垣根は低くお手頃で、毎日多くの人が利用している。「そんな立地の店で、日本人の若い女性がおにぎりを握っていたとしたら、お客さんはどう思うだろうか」。そんな問いを投げ掛けられ、いつの間にか握っている自分の姿を重ねていた。
旅行を終え日本に帰っても、頭の中はおにぎりのことばかり。実家暮らしが長かったこともあって、自分で握ることはほとんどなかった。なのに思いが募るのはどういうわけか。思案に思案を重ね、起こした行動が大学卒業直前3月の再渡航。タイを中心とした東南アジア10日間の旅だった。「本当に私にできるのか、確かめたかった」
出店話を聞かされた飲食店関係者と再会し、アドバイスを受けた。「やりたかったらやればいい」「若いうちに海外経験を積むことはとても大切」。旅程が終盤に差しかかるころ、気持ちはすっかり固まっていた。「私やります」
支度のため実家に戻ると、両親も姉妹もびっくり。何でそんなに遠いところに出掛けるのか。一人で生活できるのか。だが、話を重ねるうちに最終的には背中を押してくれるまでに。今では一番の良き理解者だ。
旅費をためるため2ヵ月間ほどアルバイトして5月下旬にタイに渡った。ちょうど雨期が本格化し、到着初日に早くも洪水の洗礼を受けた。気候、食事、衛生環境。何もかもが日本とは異なる中で、リサさんを支え続けたのが、おにぎりを握りたいといういちずな気持ちだった。
7月1日にオープンしたこめこめCLUBでは、初日から店に立った。お客さんが喜んでくれるのがうれしくて、「おにぎりには豚汁でしょ」と進言。メニューに加えてもらった。東京で大ヒットしている専門店を参考に、卵黄入りおにぎりを考案したのもリサさんだ。9月上旬にバンコクで開催された国際イベントでは、3日間で1700個ものおにぎりを仲間と握り、手が痛くなった。
「毎日が充実していて、これ以上楽しいことなんてあるはずない」。そんなふうに思うようになっていたころ、オーナーである飲食店関係者から思いがけない一言をかけられた。「ずっとここにいるつもりではないよね。若いんだから夢を持った方がいい」。概略こんな内容だった。
「びっくりした。言葉が出なかった」とリサさん。でも、今では感謝を込めてその真意を理解しようと努めている。「今はまだ次のことは考えられないけれど、現在の仕事をやり遂げたと思えるころには新たな拠点に立ちたい。それが恩返し」
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)