海外日本食 成功の分水嶺(118)日本料理店「まりちゃん」〈下〉

連載 外食 2021.02.22 12191号 03面
日本料理店「まりちゃん」のオーナー安田裕治さんと妻のプーさん=タイ・ハートヤイで小堀晋一が20年12月30日写す

日本料理店「まりちゃん」のオーナー安田裕治さんと妻のプーさん=タイ・ハートヤイで小堀晋一が20年12月30日写す

●「娘が成長するまで頑張る」

タイで最も南にある日本人経営の日本料理店「まりちゃん」。オーナーの安田裕治さんには目に入れても痛くない二人の娘がいる。いずれもタイ生まれの、まりさん(20)とまらいさん(17)。店はまりさんが1歳の時にオープン。愛娘の名をそのまま店名とした。

東京育ちの安田さんがタイを知ったのは、19歳の時。中学卒業後から役者を目指し、定時制高校へ通うかたわら劇団で修行を重ねていたころだった。ふと思い立ち、東南アジア旅行に出掛けてみた。そこで目にし触れたのが、現地の人々の熱い思い、息づかいだった。いっぺんでとりことなり、その2年後には南国の大地を踏んだ。雑貨の日本向け輸出などに携わりながら将来を模索した。

いったん日本に戻り、実家の移動式弁当販売業に3年ほど関わった。だが、タイへの思いはやまず、31歳の時に再び渡航。2000年には自らの会社も立ち上げた。この間、結婚もし、長女まりさんも生まれた。

南部最大の都市ハートヤイに拠点を移したのは、タイ人妻プーさんの故郷トラン県に近いから。のんびりしたタイの田舎で二人の娘を育てようと考えた。選んだ仕事は日本食料理店。日本で学んだ弁当販売のノウハウが役に立った。

とはいえ開店直後は知名度もなく、来店する客もまばら。従業員も十分に雇えず、夫婦自ら皿洗いに励んだ。たまにまとまった売上げが上がると、右から左に支払いに向かうことも少なくなかった。我慢に我慢を重ね、じっと耐える日々が続いた。

5年が過ぎたころから、ハートヤイにもタイ資本の日本食チェーン店や日本食材を扱うサプライヤーなどが進出し始めた。折からの日本食ブームや日本旅行を楽しむタイ人が増えたこともあって、地元の消費者が日本食に親しむ機会も格段に増した。まりちゃんも経営面で、にわかに風向きが変わり始めた。

日本食が浸透を始めると、従業員の確保も以前より難しくなくなった。「照り焼き」を説明しなくても理解している応募者が現れるようになった。わざわざ経験者を探す必要がなくなった。

だが、そういったタイ人スタッフでも日本人のように食べ慣れた感覚を持ち合わせているとは限らない。少し目を離すと、タイ人好みで甘さが加えられたり、味が濃くなることも珍しくはなかった。「味のぶれがないことが一番」と安田さん。今では、その確認が自身の日課になっている。

一方で、まりちゃんのメニューはどれも量が多め。日本人でも一人で平らげると、別の料理が胃袋に入らないことがある。「おなかいっぱいになってほしい」という狙いもあるが、家族や友達とのシェア文化が強く残るタイで、1人前を二人で、あるいは2人前を2~3人で楽しみたいタイ人客にも配慮した。着眼は見事当たった。

気づくと五十路となり、タイ生活も長くなった。だが、健康が続く限り店に立つつもりだ。寝ても起きても仕事をしても、いつも気がかりなのが娘たち。「娘が成長するまでは頑張る」とほほ笑む安田さんの表情に、暖かい“お父さん”のぬくもりを感じた。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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