海外日本食 成功の分水嶺(164)北海道寿し居酒屋えぞや〈下〉

外食 連載 2023.03.15 12549号 03面
一人客にも人気の北海道寿し居酒屋えぞや本館=タイ・バンコクで小堀晋一が2月27日写す

一人客にも人気の北海道寿し居酒屋えぞや本館=タイ・バンコクで小堀晋一が2月27日写す

 ●ジャパニーズスタイルを堅持

 タイ・バンコクで、北海道寿し居酒屋えぞやなど3店舗を展開するEZOYA(タイランド)。統括する取締役の末武和幸さん(43)は北海道函館市の出身だ。高校卒業後20歳まで地元でバーテンダー。上京し、横浜市のバーなどで飲食の経験を積んだ。23歳の時、調理を学ぼうと縁あって札幌へ。そこでEZOYA(タイランド)の親会社APRグループと出合い、翌年に入社した。

 料理に華やかさを加えるデザイナーズ・ダイニングの世界はここで学んだ。既存の枠を超えたアイデアいっぱいの創作料理も。一通り現場を踏んだ後は、北海道屈指のリゾート地トマムへ。ここで3年間、新業態のカフェ&バーの立ち上げ、運営に加わった。

 このころ、APRグループでは海外進出を模索していた。数ある候補地から選んだのはタイ。日系企業が多く、貪欲な消費が魅力的と判断した。現地の統括役として白羽の矢が立ったのが、札幌に戻っていた末武さんだった。自身としても、初タイはおろか、初海外。将来に向けた見聞を広められる二度とないチャンスと受け止めた。

 とはいえ、タイ事業は一筋縄ではいかなかった。幹線道路沿いに構えた当初の旗艦店舗は家主の都合で間もなく立ち退きを求められ、移転を余儀なくされた。新たな物件探し、慣れない商慣習下での交渉、契約。現在の場所に3店舗体制が整ったのは2020年末のこと。

 そのころ、タイの消費市場はすっかりと新型コロナウイルスの猛威に脅かされていた。移転したけど、客が来ない。「このままではいけない。何とかしないと」(末武さん)。焦りばかりが先行した。

 無理を押した勤務がたたったのだろう。コロナ禍の収束とともに店の売上げは戻ってきたものの、一方で自身がとうとうウイルスに罹患(りかん)してしまった。22年初めのことだ。発熱、肉体痛、倦怠感。出勤できない日がたびたび続いた。そして、ついに本格的に体調を崩す。同年4月から1ヵ月半、日本で静養した。

 タイに戻ってからは、ある種のあきらめと覚悟を決め、安全運転で行こうと決めた。「それまでは、(体調不良が)コロナの後遺症なのか原因を突き止めないと気が収まらなかった。でも、そんなことはもう、どうでもいい。ウィズコロナでのんびりと行こうという気持ちになった」

 売上げが回復し、客層に多様性が増したえぞや。足を運ぶようになったタイ人客には、本当にありがたく思っている。

 だが、今後の営業路線については、あくまでも従来どおりの「日本」を貫こうと末武さんは決めている。ジャパニーズスタイルの堅持だ。

 「もともと、北海道の新鮮な魚介類をタイの消費者に知ってもらおうとタイ進出を決めた経緯がある。タイ人客が増えたのは、その理解が進んだから。だから、タイ風にアレンジする必要はない」

 (バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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