海外日本食 成功の分水嶺(136)衛生紙製造「タイ和光ペーパー」〈下〉
●期待に応えたタイ人スタッフ
東南アジアのタイで、飲食店などで台布巾代わりに使われるウォッシャブルワイパーや、食品工場などで活用できる産業用ペーパーウエスを取り扱う高知県の製紙メーカー「和光製紙」のタイ法人「タイ和光ペーパー」。2014年3月に進出を決めたものの、当初は知人も取引先の一つもない孤立無援の状態だった。
現地の初代責任者だった安並剛さんは、タイを訪れたのも初めてならば、東京すら一度も行ったことのない根っからの四国人。言葉も文化も異なる中、コミュニケーションをどう図り、どのように意思疎通していけばよいのか、思案する毎日だった。
着任時、試しにタイ語にチャレンジしてみたものの難解な発音と文字に、「この年齢で新たに言語を覚えるのは至難の業」と早々にギブアップを決めた。困り果てて、スタッフには「君たちに日本語を覚えてもらいたい」と逆転の発想で懇願した。
これに見事応えてくれたのが若きスタッフたちだった。真綿が水を吸うように日本語を理解。忠実に指示を実行してくれた。中でも立ち上げ時に入社し、ともに歩んでくれた事務スタッフは秀逸だった。駐在した7年半を、安並さんはほとんど日本語だけで通すことができた。優秀な通訳一人雇うだけで人件費は桁違いに膨れ上がる。
タイ社会特有の思いやりや優しさにも触れた。家族のような接し方、空気には幾度、心が和んだことか。ゆったりとした時間の流れ、あくせくしないところに深い魅力を感じた。田舎育ちの自分にとって、いつしか居心地の良い故郷を感じるようになっていた。
飲食店で台布巾代わりになるウォッシャブルワイパーで成功を収めた次は、同社の主力であるペーパーウエスの販路拡大が不可欠だと安並さんは考えるようになった。一般的な布や紙に比べ、桁違いの吸収力を誇る同製品。食品工場の製造ラインやメンテナンスのほか、ビルやホテルの清掃、さらには一般的な製造業まで用途は無限にあった。
農業国のタイには食品工場が無数にある。ここで生産された農産物や畜産品の多くが、日本に向けて輸出されている。在任中に攻略までには至らなかったものの、タイ人スタッフには狙いを定めて営業アタックをかけるよう指示を出してきた。これからは、日本側からサポートしていこうと考えている。
高知県土佐市出身の安並さんは、もともとは指輪やネックレスなど宝飾品の加工職人。研磨した宝石に金属の飾りなどを装飾するのが仕事だった。高校を卒業後、手に職を付けようと大阪に出て学んだ。数年後には、製造や修理を任されるようになった。
ところが景気に左右されやすく、収入も完全歩合制のこの業界。生活は安定せず、何年たっても将来が見通せなかった。やむなく高知へ帰郷することを決断。その際、紹介を得て入社したのが和光製紙だった。
宝石職人時代に身に付けた技術は製紙業界でも存分に生かされている。手先に求められる器用さが特にそうだ。「人生は不思議ですね」と笑う安並さん。今度はタイで身に付けた作法や工場運営のノウハウを、日本で生かしたいと考えている。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)