海外日本食 成功の分水嶺(93)ジャパニーズBBQ神戸屋〈上〉

連載 外食 2020.02.17 12014号 03面
「ジャパニーズBBQ神戸屋」オーナーの中村弘子さん(写真は本人)は、日本語・英語・ミャンマー語の3言語で定期的に顧客向け情報発信を続けている=提供写真

「ジャパニーズBBQ神戸屋」オーナーの中村弘子さん(写真は本人)は、日本語・英語・ミャンマー語の3言語で定期的に顧客向け情報発信を続けている=提供写真

●ミャンマーでお祝いの焼肉を

民政復帰から10年。東南アジアのミャンマーでは、外国資本への段階的な門戸開放が進み、多くの外国企業が投資を加速。そうした人々の胃袋を満たそうと、外食事業の進出も相次いでいる。会社の設立や新規事業の立ち上げ、さらにはちょっとしたお祝い事にも利用してくれたらうれしいと、日本スタイルの高級飲食店なども次々と登場している。そのうちの一つ、関西出身の女性がたった一人で立ち上げた日本式焼肉店が今回の舞台だ。

同国最大都市のヤンゴン。その中心部からやや北に位置する人気のデートスポット「インヤー湖」の近くに「ジャパニーズBBQ神戸屋」はある。2012年末に開業。今年8年目を迎えた。

日系企業の現地駐在員らが大型の契約を取り付けた時の会合で利用したり、受験に合格した駐在員の子どものお祝いの席などにも活用されている。一戸建ての民家をおしゃれに改造。1階と2階に3室ずつの個室を配置した造りはゆったり感が満載で、街の騒しさを忘れて会食するにはうってつけ。今ではヤンゴンの日系社会で、すっかり知られた存在となった。

オーナーの中村弘子さんは兵庫県明石市出身の神戸育ち。大学時代に米国で学び、出身地に戻って英語教室を開くなどした。その後、子どもの教育環境を考えシンガポールで仕事を探していた時に、初めての飲食業と出合う。まずチャレンジしてみたのが讃岐うどんの専門店。本場香川県から製麺機を取り寄せ、鰹節でだしを取った本格うどんの提供だった。

店のあった場所は金融街のど真ん中。物珍しさもあって、たちまち人気店に。程なく店を買いたいという人物が現れ、売却を決意。次に何をしようかと考えていたところ、たまたま立ち寄ったのが知人のいたミャンマーだった。

当時のミャンマーは現国家顧問のアウン・サン・スー・チーさんが国会議員に就き、3年後の総選挙に向けて民主化の機運が盛り上がっていた時期。現地社会経済の成長と将来を考えた時に必要となると考えたのが、ちょっとした特別な機会に利用ができるおしゃれな飲食店だった。

「仲間内で話し合っている時に話題に出たのが焼肉店だった。そういう店があってもいいよねと、トントン話で出店が決まった」と中村さん。その2ヵ月後には物件を借り、さらに年末にはオープン。「ここでやめたら、きっと後悔するという思いがあった」と振り返った。

牛肉など食材の調達は自らが担当。日本とを行き来して国産和牛を買い付けている。目利きもずいぶんとうまくなった。今では、電話やメールだけで狙いどおりの肉を仕入れることができる。常連客からの評判も上々だ。

雇用するミャンマー人スタッフには、あえて日本式の「完璧さ」は求めない。「いつも大切だと教えているのは、どれだけ心を込めたかということ」。自慢のスタッフ力でミャンマー一の温かい店を目指す。それが今の中村さんの最大の目標だ。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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