海外日本食 成功の分水嶺(122)江戸前寿司「サチコ寿司」〈下〉
●家族3人で12年、愛娘も成長
日本人観光客にはあまりなじみのないタイ北部ターク県は、ミャンマー東部カイン州と長い国境を持つ辺境の街。国道1号や東西経済回廊を構成する12号線が中心部を走行しているものの、ほかに幹線道路はなく鉄道も通っていない典型的な地方都市だ。県域の大部分は密林が占め、六つの大きな国定公園が重なるように存在する。ミャンマーを追われた少数民族カレン族の難民キャンプも域内にある。
こうした地の中心部に12年前に店を開いたのが江戸前寿司の「サチコ寿司」だった。店名は、オーナーの戸塚盛夫さんとタイ人妻アマリンさんの一人娘幸子さん(26)から採った。
幸子さんは日本生まれの日本育ち。13年前、両親とともに未知の世界であるタイに飛び込んだ。「最初は言葉が分からずに不安で泣いてばかりでした。日本に帰りたい、帰りたいと」と振り返る。
当時はまだ小学5年生。日本で、たくさんの友達と普通に暮らしていた。ところが、アマリンさんに両親の世話を見る必要が生まれ、帰国を決断。家族3人でタイで暮らすこととなった。突然始まることになった異国での生活。「なじめるだろうかと、娘のことだけが本当に心配だった」(戸塚さん)
少しでも早くタイ語が習得できるようにと、専任の先生を付けてもらった。毎日毎日ほぼ一日中、語学の勉強に没頭した。現地の学校にも通うようになって1年後、どうにか操れるようになった。読み書きも難なくこなすまでに成長した。
その後は、ターク県内の高校にも進学。卒業後は、タイ北部にある名門チェンマイ大学に進み、政治学を専攻した。
2020年3月には晴れて大学を卒業し、学士号を取得した。現在は、就職活動や将来の人生設計をしながら、両親の店を手伝っている。
タイでは日本などとは異なり、大学生は卒業後に就職活動を始めるのが一般的。1年をかけてゆっくりと就職先を決めることも珍しくない。
今後については「まだ分からない」としながらも、現代っ子らしく首都バンコクや日本での就職も考えているという幸子さん。かつて親交のあった日本の友達にも会ってみたいとも話す。「もう、すっかり忘れてしまいましたが」と謙遜する日本語も、取材時に何ら不安を感じさせなかった。語学を活用した国際的な仕事も念頭にあることだろう。
一方、日本から居を移して以来、一度も帰国していないという父の戸塚さんは「私はいまだにタイ語はさっぱり」と笑いながらも、健やかに育ってくれた愛娘(まなむすめ)の成長に目を細める。一昨年には「タイに来た時は考えもしなかった」という傘寿にも達したが、まだまだ体は丈夫だ。朝晩の店への出勤も欠かせていない。
タイで第2の人生をスタートさせた戸塚さん一家。その時のえとも一周し、幸子さんも間もなく巣立とうとしている。「また来てくださいね」。そう声を掛けてくれた一家を見て、とてもうらやましく感じた。
(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)