海外日本食 成功の分水嶺(130)昭和酒場「サムライ・キッチン」〈下〉

外食 連載 2021.08.25 12281号 03面
「サムライ・キッチン」本店従業員と野々村裕樹さん(中央)=タイ・チェンマイで小堀晋一が4月2日写す

「サムライ・キッチン」本店従業員と野々村裕樹さん(中央)=タイ・チェンマイで小堀晋一が4月2日写す

●職人の街チェンマイに憧れて

昭和の日本が満載されたタイ北部チェンマイ県にある居酒屋「サムライ・キッチン」。新型コロナウイルスの感染拡大で相応の売上げ減はあったものの、同業他店に比べてみればなお多くのタイ人客が来店し、日本食と「昭和の日本」に舌鼓を打っている。評判は口から口に広がり、今や支店の出店に関心を持つ人すら出ている。

当初から多店舗展開を念頭に置いていたというオーナーの野々村裕樹さん(51)。ただし、直営店となれば初期費用や従業員雇用など一切のリスクを負わねばならず、そこが悩みの種だった。

そこへ、評判を聞きつけたタイ人資本家からフランチャイズ(FC)化の打診が。加盟店制度を採れば、出店のリスクが回避できる上、固定額とはいえ毎月のロイヤルティー(使用料)収入が確保される。経営の安定化にもつながる。

ただ、その場合、直営店と変わらぬ内装工事や備品の納入はもちろんのこと、食材などの供給についても責任を持たなければならない。FC店との間に相違があってはいけない。行き着いたのが、多くの多店舗チェーンで採用されているセントラルキッチン制の導入だった。

ちょうどチェンマイ郊外に、かなり広めの厨房を兼ね備えた空き店舗を見つけた。単独でしゃぶしゃぶ店として新規出店させる一方で、空き時間を使って各店向けに食材を供給する加工工場として機能させることにした。

カレーなどのソース類や魚の下処理などはすべてここで行うようにした。タイ人に大人気のサーモンも、ここですべてを切り分けて配送するようにした。結果、無駄と味のブレがなくなった。作業効率が上昇した。店頭で客を待たせることもほとんどなくなった。

岐阜市出身の野々村さんは、父親を早くして亡くした。手に職を付けたいという思いから、高校卒業後に民間企業の営業職に就職。やがて、20代でアジアン雑貨を扱う小売兼卸の仕事を起業することとなった。その際に訪れたのがタイやネパール、インド…。アジアとはこのころからの付き合いだ。

やがて世界のバイヤー相手に衣料の製造・卸の仕事をしてみようと、日本を飛び出し、手工業の街チェンマイへ。竹細工や自然素材を生かした職人が暮らす街は、かつて日本にあった山里にも似ていた。親日派のタイ人も多かった。

ただ、衣料関連の仕事は、その後の製造原価の上昇や大手量産品の進出からそう長くは続かなかった。チェンマイでの起業から13年後、かねて考えていた飲食業にチャレンジすることとなった。

現在経営するのは、日本式居酒屋「サムライ・キッチン」4店舗と「しゃぶしゃぶウル虎」を1店舗。現地で結婚もし、子宝にも恵まれた。チェンマイ郊外にある妻の実家で、家族水入らずで生活している。今年3月には、二人目となる玉のような女の赤ちゃんも授かった。「まだまだ、頑張らないと」。柔和なお父さんの目があった。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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