海外日本食 成功の分水嶺(170)タイ式豚焼肉店「ヂンヂン・ムーカタ」〈下〉
●「ならば自分でやってしまえ」
タイ・バンコクで、タイ式豚焼肉店の「ヂンヂン・ムーカタ」をこの春開業した内田智行さんだが、当初から焼肉店を考えていたわけではなかった。旅行などで日本とタイを何度も行き来。その中で現在の物件の紹介を受けた。コロナ禍で借り手が少なくなったバンコクの飲食店用物件。「この家賃なら自分でも支払える」と賃借を決めた後に、「どんな店にしようか」と考えたのだという。
真っ先に浮かんだのが、日本でも経験のある居酒屋だった。だが、居酒屋をはじめとするコロナ後のバンコク日本食市場は、離れた客を少しでも集めようとひときわ洗練され、一段とレベルアップされていた。競争も激化の一途。信じられないようなプロモーションや強気の高価格帯を提示する店も出現していた。
「あんなに競争が激しくなってしまっては、資本力で見劣りする小規模経営者は太刀打ちできない」。そう考えた内田さんの脳裏に浮かんだのが、旅行者時代にどっぷりはまったムーカタだった。
豚肉を焼いてナムチム(焼肉のつけだれ)につけて食べるだけ。至ってシンプルなのがムーカタ最大の特徴だ。ゆえに、肉のうまみとナムチムの味が決め手となる。各地のムーカタ店をいくつも食べ歩くようになって気付いたことは、肉はうまいがナムチムは今一つ。逆に、肉は不合格だがナムチムは文句なくうまいといったばらつきが意外にあることが分かった。衛生面で見劣りし、味はピカイチなのに売れていない店もあった。
ならば、すべての良いところを採った店を自分でやってしまえと考えた。油回りを中心に掃除を徹底し、食材の管理や衛生面にも気をつけ、エアコンを完備し、食材を美しく日本式に盛ればきっと客は入ってくれる。そう信じて決断したのが「ヂンヂン・ムーカタ」の出店だった。日本人が大衆料理のムーカタ店を経営するなどという発想がそもそもなかったタイで、その決断は異彩を放ち、間もなく注目を集めるまでとなった。
内田さんがタイで飲食業にチャレンジしようと決意したもう一つに、「タイでのやりやすさ」があったという。日本のような厳密な管理による規制は少なく、求められる条件やハードルが低いのもタイの魅力の一つだった。加えて、どうしても横並びが求められがちな日本社会。「出店までの煩雑さでは、はるかにタイのほうがストレスが少ないと感じた」と語った。もちろん、利点ばかりではない。日本式接客サービスやホスピタリティーなど聞いたことも触れたこともないタイ人スタッフ。彼らに接客のイロハを教え込まなくてはならないなど、人材育成には特に骨が折れた。「おもてなし」に該当するタイ語が存在しないことも意思疎通をさらに難しくした。
それでも複数出店を成し遂げ、さらなる多店舗化へとかじを取る内田さん。その決断を、所得上昇の続くタイの消費者層が支えている。日本でも事業を展開し、二足のわらじを履き続ける毎日。「当面は日本とタイを行き来するが、少しタイが多い感じかな」と笑顔で話す中に、意欲と手応えが感じられた。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)